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田辺修 (アニメーター)から見た高畑勲
2005年に高畑勲の次回監督作品企画が決まった際にメインアニメーターに指名されたが、当初の『平家物語』の企画に対して「人が人を殺すシーンは描きたくない」と難色を示し、「生まれてきた子供が生き生きと動くところを描きたい」と言ったことがきっかけで、『竹取物語』をベースにした『かぐや姫の物語』に変更されることになった。(田辺修 (アニメーター) フレッシュアイペディアより)
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アニメ監督から見た高畑勲
初期においてはアニメーターとしてある程度の技量を持った人間がそのまま演出家になることが多く、その傾向は現在も続いている。一方、東映動画は実写映画の助監督のように演出助手(後述)を募集しており、高畑勲のように、絵は描けずともはじめから演出助手として採用された上で演出に昇格するというパターンもあった(現在の東映アニメーションでもそのシステムは引き継がれている。また試験を受ければ社内のどのセクションからも演出に転身出来るようになっている)。1961年に設立された虫プロでは、初期は東映から移籍してきた杉井ギサブローなどアニメーター出身の演出がほとんどであったものの、富野由悠季や高橋良輔などの制作進行出身のアニメ演出家が登場し、以降業界では制作進行から演出家になるという流れも一般化した。また、設立当初から分業化を進めていたタツノコプロにおいては、押井守のようにいきなり演出として採用されることもあった。(アニメ監督 フレッシュアイペディアより)
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スタジオジブリ・レイアウト展から見た高畑勲
この展覧会は『風の谷のナウシカ』、『となりのトトロ』などから『ハウルの動く城』や『崖の上のポニョ』までスタジオジブリが高畑・宮崎両監督を中心に手がけた作品や、スタジオジブリ設立以前の作品『アルプスの少女ハイジ』などの作品の「レイアウト」と呼ばれる、1枚にアニメーションの1カットの構図を緻密に描いたもの(詳しくは「レイアウト」を参照)がそれぞれの作品の名場面を中心に約1300点公開される。(スタジオジブリ・レイアウト展 フレッシュアイペディアより)
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エースをねらえ! (劇場版)から見た高畑勲
細田はアニメージュのインタビューでこの映画が公開された1979年(富野由悠季の『機動戦士ガンダム』の放送開始や宮崎駿の『ルパン三世 カリオストロの城』の公開などがあった)について「アニメはこの年に作られたものだけを見てればいいんじゃないか」という発言をしている。白倉は同作品について特撮ニュータイプの2003年月号のインタビューで「一時期「劇場版エースをねらえ!」を見まくってたんですよ。何回も見てるのに見終えたらもの凄く励まされるというか、ホント何度も見てんのに(笑)」と言い、またスタジオジブリの代表取締役である鈴木敏夫もこの作品を高く評価しておりアニメージュの編集長だったころに宮崎駿と高畑勲の作品ばかり特集してしまいその他の作品が二の次になってしまったことを反省し周囲の反対を押しきって1987年1月号にこの作品を大特集した。(エースをねらえ! (劇場版) フレッシュアイペディアより)