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    高畑勲から見た楠部三吉郎

    1977年、Aプロダクション時代に面識のあった楠部三吉郎がシンエイ動画での『ドラえもん』の再アニメ化を原作者の藤本弘(藤子・F・不二雄)に持ち込み、藤本から「どうやって『ドラえもん』を見せるのか、教えてもらえませんか」と問われた際に、楠部は高畑の自宅を訪れ『ドラえもん』の単行本を読ませた上で、企画書の執筆を依頼した。高畑は目にした『ドラえもん』を「子供の心をぐいっとつかまえる力がある」と絶賛した上で企画書を書き、数日後に楠部と二人で藤本を訪れると、企画書を読んだ藤本はアニメ化を承諾したという。楠部は高畑を『ドラえもん』の「恩人のひとり」と記している。高畑勲 フレッシュアイペディアより)

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    高畑勲から見た叶精二

    大塚康生・叶精二・藤本一勇『王と鳥 スタジオジブリの原点』(大月書店 2006年)高畑勲 フレッシュアイペディアより)

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    高畑勲から見たフレデリック・バック

    『じゃりン子チエ』に前後して、当時テレコム・アニメーションフィルム(および親会社である東京ムービー)が社運をかけて取り組んでいた日米合作の劇場大作『NEMO/ニモ』に参加する。いったんは日本側の監督にノミネートされたが、制作体制の問題から1983年に降板し、テレコム・アニメーションフィルムを退社する(宮崎駿は一足先に退社していた)。『NEMO/ニモ』製作のための渡米時にフレデリック・バックの作品『クラック!』に出合い感銘を受けている。高畑勲 フレッシュアイペディアより)

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    高畑勲から見た西村義明

    しかしながら制作のスピードに関しては、宮崎が「パクさんはナマケモノの子孫です」と譬えるほど遅筆である。『太陽の王子 ホルスの大冒険』では、製作の遅れの責任を取って、プロデューサーが何度も交代するほどであった。『ホーホケキョとなりの山田くん』では「製作は順調に遅れています」という異色の予告編がつくられた。『かぐや姫の物語』がいったん『風立ちぬ』と同日公開とされたのは、制作作業の遅れ(絵コンテの進捗が1ヶ月で2分相当で、企画から5年経過の時点で30分しか完成しなかった)に業を煮やしたプロデューサーの西村義明が鈴木敏夫と相談の末、高畑を奮起させて進捗を回復させるために打った「大博打」だったという。高畑勲 フレッシュアイペディアより)

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    高畑勲から見たユーリ・ノルシュテイン

    ロシアのアニメ作家ユーリ・ノルシュテインと交流があり、ノルシュテインの代表作『話の話』の研究書(徳間書店)も刊行している。また、前記のフレデリック・バックとはその後も交流や日本での紹介をおこない、尊敬を持って接し続けた。2011年にスタジオジブリの企画によりバックの展覧会を日本で開催した際には、来日したバックとテープカットもおこなっている。2013年12月には亡くなる直前のバックを訪問し、『かぐや姫の物語』を見せることができた。高畑勲 フレッシュアイペディアより)

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    高畑勲から見た徳間康快

    同じスタジオジブリで映画を制作する関係だが、興行成績では高畑は宮崎の監督作品に遠く及ばない。ジブリでの監督作品では最も高いのが『平成狸合戦ぽんぽこ』が配給収入26.5億円であり、宮崎の『千と千尋の神隠し』の興行収入308億円とは桁違いの差をつけられている。『ホーホケキョとなりの山田くん』は、当時ジブリの親会社だった徳間書店社長の徳間康快が東宝と「ケンカ」してしまったため、東宝よりも配給力で劣っていた松竹で配給せざるを得なくなった。これが原因となって製作費に20億円以上かけながら、興行収入16億円弱・配給収入8億円弱という失敗(松竹は60億円の興行収入を見込んでいた)に終わり、かえって赤字が膨らむことになった。以後、高畑は次の新作まで14年を要することとなった。高畑勲 フレッシュアイペディアより)

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    高畑勲から見た鈴木伸一

    宮崎駿・鈴木伸一・おかだえみこ『アニメの世界 とんぼの本』(新潮社 1988年)高畑勲 フレッシュアイペディアより)

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    高畑勲から見た奈良美智

    プレヴェール『鳥への挨拶』編訳(ぴあ 2006年 奈良美智絵)高畑勲 フレッシュアイペディアより)

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    高畑勲から見たしかたしん

    アニメーション以外にも、人形劇の演出も手がけている。『おもひでぽろぽろ』をつくる前に、しかたしん原作の『国境』をもとに、満州国と朝鮮半島における人々の日常生活を淡々と描く中で、日本人の現地人差別の実態を詳らかにする企画を進めていたが、1989年に起きた天安門事件の影響で企画が流れた。高畑勲 フレッシュアイペディアより)

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    高畑勲から見た海老坂武

    1956年4月、東京大学文学部仏文科に進学。同期に大江健三郎、海老坂武らがいた。高畑勲 フレッシュアイペディアより)

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