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高畑勲から見た役員 (会社)
『風の谷のナウシカ』を制作したトップクラフトは既に解散していたため、宮崎駿と鈴木敏夫は『天空の城ラピュタ』を制作してくれるアニメーションスタジオを探していた。そのとき、高畑が「ならいっそのことスタジオを作ってしまいませんか」と宮崎、鈴木らに提案した。これを受け、1985年、徳間書店が宮崎らの映画製作のためスタジオジブリを設立した。高畑も宮崎に請われてスタジオジブリに参加したが、高畑は「作り手は経営の責任を背負うべきではない」と主張し役員への就任を辞退した。、経営に関わる役職には就いていない。また、ジブリとは別に高畑個人の様々な窓口的事務を行う畑事務所を持つ。(高畑勲 フレッシュアイペディアより)
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