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大高坂松王丸から見た高知城
土佐郡大高坂郷(現在の高知市)の領主で大高坂城(現在の高知城)に居城。松王丸は南朝方に所属して北朝方の諸将と戦った。建武3年(1336年)3月21日大高坂城大手の合戦、6月からは大高坂城、安楽寺城を中心にした合戦を歴戦した。暦応元年(1338年)には、花園宮満良親王が土佐に入国し土佐国の南朝方は士気が上がった。暦応2年(1339年)堅田氏、津野氏、三宮氏、佐竹氏ら北朝方の豪族が細川定禅の命を受け大高坂城を攻撃し出陣した。暦応3年(1340年)1月新田氏、金沢氏、佐河氏、度賀野氏ら南朝方の諸将が花園宮を奉じて数千の兵を大高坂城の救援のため潮江山に陣をはり、大高坂城と潮江山の間で激戦が行われたが南朝方は敗れ大高坂城が落城した。花園宮は西国に落ち、松王丸はこの戦で戦死したとされる(佐伯文書)。(大高坂松王丸 フレッシュアイペディアより)
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近藤長次郎から見た高知城
高知城下の饅頭商人の息子として生まれ、長次郎自身も饅頭を売り歩いていたため、はじめは苗字がなく饅頭屋長次郎と呼ばれた。幼少期から聡明で土佐では河田小龍、江戸では安積艮斎らに学んだ。その才能を山内容堂にも認められて文久3年(1863年)に名字帯刀を許された上で、神戸海軍操練所に入った。岩崎弥太郎とは知己で、土佐を立つ際には餞別として刀を貰っている。同じく土佐藩出身である坂本龍馬とは仲が良く、龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立した。また龍馬の命令で長州藩に赴き、小銃を売り渡している。このとき、長次郎は長州藩主毛利敬親から謝礼の言葉を直々に受けている。(近藤長次郎 フレッシュアイペディアより)