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日本の高速道路から見た尼崎インターチェンジ
日本の高速道路の開通は、1963年(昭和38年)7月の名神高速道路 栗東IC - 尼崎IC間(71.7 km)が最初である。新幹線開業の前年にあたるこの年に、自動車が時速100 kmで疾走する道路誕生のニュースは、世間を大いに沸かせることとなった。また、このルート上にあたる京都市は、政令指定都市のなかで最初に高速道路が走った都市となった。1965年(昭和40年)には、名神高速道路の名古屋 - 阪神地区間の全線(小牧IC - 西宮IC、193.9 km)が完成し、これまで自動車で5〜6時間を要した移動時間が、2時間程で結ばれることになった。(日本の高速道路 フレッシュアイペディアより)
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日本の高速道路から見た道路関係四公団民営化推進委員会
2002年(平成14年)8月7日に道路関係四公団民営化推進委員会は高速道路の無料開放を断念し、日本道路公団民営化に伴う高速道路の恒久有料化を決定した。この結果、高速道路の無料開放の可能性は一旦消滅した。道路公団民営化の方針で2005年(平成17年)の民営化後45年以内に借入金を返済し、日本高速道路保有・債務返済機構を解散することが日本高速道路保有・債務返済機構法で義務化されている。民営化時の借入金は、約40兆円に相当すると言われている。(日本の高速道路 フレッシュアイペディアより)
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日本の高速道路から見た第四次全国総合開発計画
中央自動車道か東名高速道路か建設を優先する路線の選択に揺れている間、高速自動車国道建設の要望は全国各地で起こり、単独立法が次々と成立していく状況を受けて、1966年(昭和41年)に政府は国土開発縦貫自動車道建設法の一部改正法案とした国土開発幹線自動車道建設法が成立され、中央・東北・北陸・中国・九州のいわゆる縦貫五道を軸に、全国の都道府県を結ぶ32路線7600 kmの高速道路網が計画された。しかし、その後の社会的な交通状況の変化により、この計画が不十分だとして計画の見直しが行われることとなった。1987年(昭和62年)に修正変更が行われ、第4次全国総合開発計画の閣議決定により、高速道路43路線1万1520 km、一般国道の自動車専用道路2300 km、本州四国連絡道路180 kmの高速交通網から成る、全長1万4000 kmの高規格幹線道路網が計画された。(日本の高速道路 フレッシュアイペディアより)
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日本の高速道路から見た津川インターチェンジ
11月14日:磐越自動車道・津川IC - 安田IC、上信越自動車道・小諸IC - 更埴JCT、山陽自動車道・神戸JCT - 三木小野ICが開通し、供用延長が6,000kmを突破。(日本の高速道路 フレッシュアイペディアより)