-
巨勢寺塔跡から見た高野山
平安時代に巨勢川(曽我川)が氾濫し村人が窮していたところへ阿吽法師なる人物が現れて、これを救った。村人は法師を崇めて「玉椿精舎(=巨勢寺)」の一坊に寺を構えさせたと伝わる。しかし、1362年(南朝:正平17年、北朝:貞治元年)に火災で全焼し荒廃する。江戸時代に一度、再建されて高野山真言宗の末寺となったが、再び荒廃し1872年(明治5年)に廃寺となった。その後、1880年(明治13年)に村人の手によって仮堂が建てられ、正福寺に預けられていた仏像を迎えて再興する。安曇仙人修行の地として伝えられる。多くの椿が植えられ名所としても有名。(巨勢寺塔跡 フレッシュアイペディアより)
スポンサーサイト