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江古田文化劇場から見た高須基仁
同館は、1952年前後には『江古田文化劇場NEWS』と題した週報を発行していた。現存する同第75号によれば、『霧笛』(原作大佛次郎、監督谷口千吉、製作・配給東宝、1952年3月5日公開)、『黄色い鞄』(原作井上靖、監督弓削進、製作松竹大船撮影所、同年5月8日公開)、『東京騎士傳』(監督瑞穂春海、製作松竹大船撮影所、同年5月8日公開)が3本立で上映されている。翌1953年(昭和28年)には、同週報は『江古田文化ウィークリー』と改称した。同年に『悲剣乙女桜』(監督野淵昶、製作宝塚映画製作所、配給東宝、1953年3月5日公開)が同館で公開されたときには、戦前の旧作である『月下の若武者』(監督中川信夫、製作東宝映画京都撮影所、1938年12月1日公開)と『選挙戦の裏表』という題の啓蒙映画の3本立で上映された。新作の『逃亡地帯』(監督杉江敏男、製作東京映画、配給東宝、1953年3月19日公開)と、戦時中に製作・公開された『伊那の勘太郎』(監督滝沢英輔、製作東宝映画、1943年1月3日公開)を『伊那節仁義』と改題しての2本立という番組もあった。1950年代後半には区内の映画館は急増、1960年(昭和35年)には9館に増加し、同館と練馬映画劇場、石神井映画劇場、大泉名画座のほか、ネリマ東映劇場(豊玉北町5丁目15番地)、練馬文化劇場(練馬北町1丁目142番地)、石神井東映(上石神井1丁目415番地)、大泉東映八光座(東大泉町506番地)、関町(関町3丁目111番地)が割拠した。高須基仁の回想によれば、1960年代後半、同館で加賀まりこが主演する『乾いた花』(監督篠田正浩、製作松竹大船撮影所、1964年3月1日公開)を観たという。(江古田文化劇場 フレッシュアイペディアより)
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ヘアヌードから見た高須基仁
4月に『ANAN』で男性モデルとしてヘア露出していた本木雅弘が7月にヘアヌード写真集『ホワイト・ルーム』を発売、さらに11月、当時トップアイドルであった宮沢りえの『Santa Fe』が発表され社会的関心事となる。宮沢のヘア・ヌードは決定的で、これ以前とこれ以後でヌード表現が別れるほどの衝撃を与え、社会のヌードに対する見方も大きく変わった。宮沢の影響で、フェミニズム(女性解放・女性主体)の姿勢からのヌードが増え、人気のある芸能人がヘアヌード(全裸)まで見せる敷居も低くなり、角松かのり・三浦綺音・麻生ひろみ・EN DOLL等、アイドル性を保持したままヌードまで見せるヌードアイドル(ヌードル)と呼ばれるアイドルも活動した。一方、その様なブームの中で、高須基仁・二見暁等、「脱がし屋」と呼ばれるヘアヌードの仕掛け人が暗躍するようにもなる。(ヘアヌード フレッシュアイペディアより)