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藤井彰人から見た高須洋介
進学先の近畿大学では、まだ内野手への未練を残していたが、同学年の内野手には二岡智宏がいて、さらに1学年下に山下勝充もいたため、捕手に専念することになった。3年生の時は宇高伸次とバッテリーを組み、二岡、山下らと共に春季リーグ戦、秋季リーグ戦、全日本大学選手権、明治神宮大会、全日本アマチュア野球王座決定戦の五大会で優勝し、史上初のアマチュア五冠を達成。8月にはインターコンチネンタルカップに日本代表として出場、優勝メンバーの一員となった。この時のメンバーには後に近鉄・楽天でチームメートとなる高須洋介や、巨人へ入団した二岡、上原浩治、高橋由伸らも名を連ねていた。関西学生リーグ通算81試合出場、296打数85安打、打率.287, 5本塁打、56打点。最優秀選手2回、ベストナイン5回受賞。(藤井彰人 フレッシュアイペディアより)
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岩村明憲から見た高須洋介
このシーズンから同じく日本球界に復帰した松井稼頭央とともに主力として期待されたが、開幕から打率.169、OPS.421、失策6と攻守に精彩を欠き、5月14日に出場選手登録を抹消。復帰まで1ヵ月半を要したが、復帰直後の6月29日のソフトバンク戦(Kスタ宮城)において、延長10回裏に馬原孝浩から日本球界復帰後初の適時打となる逆転サヨナラ二塁打を放った。しかし、その後も調子が上向くことはなく、内村賢介が二塁手のスタメンに固定された影響で、それまで正二塁手だった高須洋介が三塁手に定着。押しだされるようにスタメンの座を失い、守備代走要員となった。9月16日の西武戦(西武ドーム)の代打で二ゴロ併殺崩れの間に出塁し、ホーム突入時に銀仁朗と交錯して肋骨を骨折。打率.183、本塁打なし、OPS.475という成績でそのままシーズンを終えた。(岩村明憲 フレッシュアイペディアより)
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五十嵐章人から見た高須洋介
に金銭トレードで大阪近鉄バファローズへ移籍。同年4月21日の対福岡ダイエーホークス戦に8番・二塁手として先発出場。星野順治から右中間に1号ツーラン本塁打を放ち、プロ野球史上6人目の全打順本塁打を達成した。なお、五十嵐はわずか通算26本塁打で記録を達成しているが、これは全打順本塁打を記録した選手で最少で、後藤光尊の72本塁打が続き、それ以外の7人(古屋英夫、松永浩美、田中幸雄、堀幸一、小川博文、井口資仁、吉村裕基)は100本塁打以上を達成している)。また、これが五十嵐の現役生活において最後の本塁打となった。前半戦は一軍で水口栄二、高須洋介、そしてわずかながら武藤孝司と二塁手の併用が続いたが、後半は二軍生活になった。(五十嵐章人 フレッシュアイペディアより)