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黒柳徹子から見た生島ヒロシ
出演する歌手が地方や海外に行っていてスタジオに来られない場合でも、「追いかけます、お出かけならばどこまでも」を売りに、当時TBSアナウンサーだった松宮一彦や生島ヒロシ、JNN各局のアナウンサーが「追っかけマン」「追っかけウーマン」として登場し、TBS系列各局の協力を得て、現地からの歌唱を中継披露するのも恒例行事であったが、追っかけの対象は歌手だけでなく司会である黒柳にも及んだ。これは番組開始時に、黒柳が司会に就任する条件の一つとして「毎年海外旅行に行くので2 - 3週間の夏季休暇が取れること」を挙げ、番組側がこれを受諾したことが遠因である。しかし、番組制作側としては要の一人である黒柳を3週間も欠くことは大きな痛手であると考えたため、結局黒柳の旅行先である海外までスタッフを派遣し衛星生中継で黒柳を出演させた。黒柳を追いかけての衛星生中継は1978年のニューヨークに始まりオスロ、パリなど毎年夏の恒例となり、1984年には遂に久米も一緒に海外に飛び出してミュンヘンからの生中継を行った。(黒柳徹子 フレッシュアイペディアより)
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