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    ミニ (BMC)から見た車軸

    アレック・イシゴニスは、BMC以前のナッフィールド・オーガニゼーション時代の1940年代中期に手掛けた傑作大衆車モーリス・マイナーの試作過程で、前輪駆動方式の採用を検討したことがあった。そして当時、前輪駆動を前提に、車軸と並行に横置き搭載すれば、直列4気筒エンジンでもボンネットの前後長を短縮できるという発想に到達していたのである。第二次世界大戦直後の時点では時期尚早で実用化困難であったが、それから10年余りを経てイシゴニスは再びその着想の実現に動き出した。ミニ (BMC) フレッシュアイペディアより)

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    ミニ (BMC)から見た大衆

    当時、中東の油田依存率が高かった西ヨーロッパ諸国は、時ならぬオイルショックに陥った。イギリスの大衆層は排気量1,000 cc 前後のまともな乗用車を維持することが困難になり、当時、西ドイツなどで生産されていた200 - 400 cc の、バブルカーと呼ばれる2 - 3人乗りミニカーを購入するようになった。それらは確かに経済的ではあったが、単気筒・2気筒の空冷エンジンを搭載したけたたましい乗り物で、イギリスの税制では節税になる3輪型のモデルも含まれ、居住性や操縦性といった本格的な自動車に求められるような性能を欠いていた。ミニ (BMC) フレッシュアイペディアより)

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    ミニ (BMC)から見たオイルパン

    横置きエンジンによる前輪駆動自体は、2気筒の軽便な車両では第二次世界大戦以前から見られたが、一回り大きい直列4気筒エンジンでは実用車として世界でほぼ最初であった。最低限のスペースに4気筒水冷エンジンとラジエーターを収めるため、ラジエーターは一般的なフロントグリルの内側ではなく、効率が悪いのを承知で、横置きにしたエンジンの左側にレイアウトされた(従って、冷却促進はエンジンのクーリングファンのみが頼りだった)。更にオートバイの手法を援用し、トランスミッションのギアセットはエンジン下部のオイルパンを大型化してその内部に搭載、ギアの潤滑はエンジンオイルを共用する構造とした。ミニ (BMC) フレッシュアイペディアより)

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    ミニ (BMC)から見たモノコック

    既にBMCにとって手慣れた手法になっていたモノコック構造が採用されたが、乗客の居住スペースは4人を収める最低限に切りつめられ、後部オーバーハングも切り詰められた。それまでのイギリス製小型車にありがちだった、こんもりと盛り上がった背の高いキャビンは、床の低い新しいコンセプトの前輪駆動車ではもはや不要だった。さらなるスペース節減のため、タイヤはバブルカーより若干大きい程度で、まともな自動車ではほとんど先例のなかった10インチ(in)の超小径サイズが、ダンロップとの交渉で新たに開発された。ミニ (BMC) フレッシュアイペディアより)

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    ミニ (BMC)から見た馬力

    オリジナルのモーリス・ミニ・マイナーに搭載されていた848 cc のエンジンは997 cc まで排気量が増やされ、出力も34馬力から55馬力に高められた。このエンジンにはレース向けのチューニングが施され、当時小型車には馴染みのなかったSUツインキャブレターとディスクブレーキが装備された。経営陣はこのモデルの生産を決め、1,000台を発注した。これは、経営陣が参加を目指していた、FIAの、当時のグループ2規定の生産義務台数をクリアするためであった。1964年、997 cc のエンジンが、よりストロークの短い998 cc のモデルに変更された。これ以降、1967年にクーパーモデルの生産が終了するまでに計12,274台の「クーパー」が販売された。1963年にはよりパワフルな「クーパーS」モデルが相前後して開発、生産された。ミニ (BMC) フレッシュアイペディアより)

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    ミニ (BMC)から見たオックスフォード

    BMWは新規に投入する同社初となるFF車をニューミニと位置づけ、それまでの資産(ヘリテイジ)を生かしたビジネスモデルとすべく、傘下となった旧ローバーの技術者による車両開発を行ない、平成13年 (2001年) から英国のオックスフォード工場(旧ローバー社カウリー工場)で生産を開始し、販売されている。ミニ (BMC) フレッシュアイペディアより)

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    ミニ (BMC)から見たフランジ

    このコンパクトなボディは、設計者のイシゴニスが自らのスケッチでデザインするという異例の過程でスタイリングされた。コンセプトと内部構造を熟知した設計者自身によるスタイリングは、機能に直結した合理性に富むもので完成度が高く、そのまま生産されることになった。ミニの実車を間近で観察すると目につく点のひとつにフランジ状に張り出した外板の継ぎ目があるが、これは組み立て時の手間を省いた結果である。ミニ (BMC) フレッシュアイペディアより)

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    ミニ (BMC)から見た後輪駆動

    1960年代のミニの売り上げは全モデルで好調であったが、生産メーカーにはほとんど利益をもたらさなかった。複雑な駆動システムが製造コストを嵩ませた一方、競合他社との競争に勝つために製造原価を割り込む価格で販売することを余儀なくされたためである。当時のイギリス市場で最大の強敵はイギリス・フォードで、「アングリア」、「エスコート」など、BMC前輪駆動車よりも大きい3ボックススタイルのボディを持ち、当時では低コストな固定車軸の後輪駆動方式を用いたベーシックモデルを生産、レースフィールドと大衆車市場の双方で、ミニやその上級モデルに当たるADO16シリーズと競り合った。ミニ (BMC) フレッシュアイペディアより)

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    ミニ (BMC)から見た自動車排出ガス規制

    日本では、優れたパッケージング、愛らしいデザイン、軽自動車相当にコンパクトなサイズなどが評価され、モデル晩年は日本が主要マーケットとなっていた。なお、イギリスと同じ左側通行である日本に輸入されたミニにも左ハンドル仕様車がある。これは日本で施行された自動車排出ガス規制(昭和50年 (1975年) 規制 - 昭和53年 (1978年) 規制)に対し、かつては規制値が近いカリフォルニア州仕様車(対米輸出車)を輸入していた時期があったためである。ミニ (BMC) フレッシュアイペディアより)

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    ミニ (BMC)から見たレッキ

    又、BMCワークス監督で後のイギリス・フォードでも活躍する事となるスチュワート・ターナーは本格的なペースノート、レッキ、サービス計画等ラリーに近代的なチームオペレーションを持ち込んだ事でも知られるようになる。ミニ (BMC) フレッシュアイペディアより)

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