695件中 51 - 60件表示
  • 中田カウス・ボタン

    中田カウス・ボタンから見たM-1グランプリM-1グランプリ

    ボケ担当。血液型はA型。愛媛県今治市(旧越智郡伯方町)出身。子供のころ雑誌に付録として載っていた住所録見て横山エンタツの自宅に行き弟子入り懇願したが断られ断念。その後大阪の千日劇場で観た暁伸・ミスハワイの漫才に魅了され、自宅に押しかけ弟子入りを懇願したがこちらも断られ、暁伸・ミスハワイの友人であったあひる艦隊を紹介され、ボーヤとして地元愛媛の仕事に帯同。のちに上方柳次・柳太門下を経て中田ダイマル・ラケット一門に入る。2002年からM-1グランプリ決勝戦の審査員を務めており、回数では島田紳助、松本人志と並ぶ最多の9回。出演者のチェックは予選から行っており、2005年は1回戦から舞台袖ではなく、客席側からチェックしているのが目撃されている。中田カウス・ボタン フレッシュアイペディアより)

  • キンチャク (お笑いコンビ)

    キンチャク (お笑いコンビ)から見たM-1グランプリM-1グランプリ

    2009年11月、第9回M-1グランプリ2回戦進出。キンチャク (お笑いコンビ) フレッシュアイペディアより)

  • ロシアンモンキー

    ロシアンモンキーから見たM-1グランプリM-1グランプリ

    ダイノジ、トータルテンボス、LLRなどの数々の芸人が、ロシアンモンキーがM-1グランプリ2006の前説を務めた際、前説とは思えないくらいの笑いを取り「笑いの量では決勝の中でも上3つくらいには入った」「POISON GIRL BANDの4倍はウケた」「優勝したチュートリアルよりウケた」などと述べている。ダイノジの大谷曰く「ロシアンモンキーが前説であまりにウケているため、モニターを見るために楽屋のザ・プラン9が全員立ち上がった」らしい。ロシアンモンキー フレッシュアイペディアより)

  • ヨシモト∞

    ヨシモト∞から見たM-1グランプリM-1グランプリ

    12月24日:サバンナ(M-1グランプリのため)ヨシモト∞ フレッシュアイペディアより)

  • ミラマリア

    ミラマリアから見たM-1グランプリM-1グランプリ

    コンビ名は両者の名前に由来。コンビ名は、当初滝口が「ドリアンパフェ」という案を出したものの、江渡の抗議によって現在のものになった。2度のM-1グランプリ出場を経て、2010年より本格的に活動を始めたが、2011年4月より滝口が地元・大阪に拠点を移したため、実質的には活動休止状態となっている。ミラマリア フレッシュアイペディアより)

  • チョップリン

    チョップリンから見たM-1グランプリM-1グランプリ

    第3回オートバックスM-1グランプリ 準決勝進出 (2003年)チョップリン フレッシュアイペディアより)

  • マーフィー (お笑い芸人)

    マーフィー (お笑い芸人)から見たM-1グランプリM-1グランプリ

    同じ事務所所属のぐたくが『熱血!平成教育学院』(フジテレビ)にてADマーフィーの話をしたところ、Yahoo! JAPANの2008年12月15日付検索ランキングにおいて13位にランクインするという現象が起きた(1)。またM-1グランプリ2009では、そのぐたくとコンビ『ヒポクリ』を組んで出場した。本人曰く、この回で5年ぶりのM-1出場だったという。翌年のM-1グランプリ2010にも、『ヤシチ』というコンビで出場。マーフィー (お笑い芸人) フレッシュアイペディアより)

  • アイスクリーム (お笑いコンビ)

    アイスクリーム (お笑いコンビ)から見たM-1グランプリM-1グランプリ

    フットボールアワーのよしもとオンラインにて、M-1グランプリ2009で2回戦落ちになったことを悔やみ、番組内で先輩であるフットボールアワーに相談。後藤から「勝山梶ではムーディのイメージが強すぎる」と言われ、視聴者からも「改名したほうがいい」との意見を受け改名を決意。2009年12月17日に「アイスクリーム」に改名したものの、解散はその約半年後であった。アイスクリーム (お笑いコンビ) フレッシュアイペディアより)

  • 幽霊ゾンビ

    幽霊ゾンビから見たM-1グランプリM-1グランプリ

    2006年9月 漫才コンビとしてM-1グランプリ2006出場。幽霊ゾンビ フレッシュアイペディアより)

  • DonDokoDon

    DonDokoDonから見たM-1グランプリM-1グランプリ

    1994年2月デビュー。2人は吉本興業所属となる前からの知り合いで、かつては共に宝塚ファミリーランドに勤めていた。ここで山口はイベントの司会業を、平畠はイベントの音響を担当していた。大阪の養成所(NSC)には入らず、また当時は東京にNSCが開校していなかったため、銀座7丁目劇場のオーディションを経て東京吉本所属となる。1999年、爆笑オンエアバトル初代チャンピオンに輝く。2001年、第1回M-1グランプリ決勝進出。結果は10組中9位に終わる。審査員の春風亭小朝には「関脇の人が横綱相撲取っちゃった、みたいな感じなんですよ」と評された。2006年頃から現在まで、コンビとしての活動は行われていない。DonDokoDon フレッシュアイペディアより)

695件中 51 - 60件表示

「M-1グランプリ」のニューストピックワード