-
鈴木孝政から見たNTT東日本硬式野球部
蓮沼小学校、蓮沼中学校から成東高校へ進学、中学時代はサイドスローだったが高校ではオーバースローに変更。鵜沢達雄の後継として、速球を武器に1年秋からエースの座に着く。2年時の1971年には夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東関東大会準決勝に進む。しかし練習時に負傷し、先発を控えの及川投手に譲りリリーフに回るが、竜ヶ崎一高に1-2で惜敗した。翌1972年の春季関東大会では準決勝で日大三高の待井昇に投げ勝つ。しかし決勝では登板せず、後にプロで同僚となる田野倉利男のいた早実高に敗退し準優勝にとどまる。同年夏は県予選準決勝で銚子商の根本隆と投げ合い0-1で完封負け、甲子園には出場できなかった。高校同期に青木康彰中堅手(専大 - 電電東京)がいる。(鈴木孝政 フレッシュアイペディアより)
-
第82回都市対抗野球大会から見たNTT東日本硬式野球部
決勝戦の先発はNTT東日本が小石博孝、JR東日本が十亀剣であったが、先に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから小石は2位、十亀は1位で指名されていた。同一球団から指名されたドラフトの1位と2位が全国大会の決勝で投げ合うという非常に珍しい出来事であった。(第82回都市対抗野球大会 フレッシュアイペディアより)
スポンサーサイト