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第88回天皇杯全日本サッカー選手権大会から見たSAGAWA SHIGA FC
滋賀県 - SAGAWA SHIGA FC(2年連続2回目)(第88回天皇杯全日本サッカー選手権大会 フレッシュアイペディアより)
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奈良輪雄太から見たSAGAWA SHIGA FC
セレクションを経て2010年よりJFLのSAGAWA SHIGA FCに加入すると、開幕から右サイドバックで出場、開幕2戦目のツエーゲン金沢戦において直接フリーキックでJFL初得点を奪うなど活躍をみせて、この年のJFL新人王を獲得した。翌2011年も右サイドバックで31試合に出場し、チームのJFL優勝に貢献。2012年も安定した活躍をみせて初のJFLベストイレブンに選ばれるとともに、天皇杯2回戦におけるJ1のヴィッセル神戸との対戦では決勝点をアシストしたが、この年のシーズン終了とともにSAGAWAは活動を休止し、チームを離れることとなった。(奈良輪雄太 フレッシュアイペディアより)
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矢部雅明から見たSAGAWA SHIGA FC
2012年に横河武蔵野FCに加入。開幕2戦目からベンチ入りし、リーグ5戦目のSAGAWA SHIGA FC戦で初出場、14戦目の佐川印刷SCで初スタメン。1年目のリーグ戦は24試合出場だった。同年、第92回天皇杯東京都代表を決定する第17回東京都サッカートーナメントにも出場し、第5回大会以来、12年ぶり2度目の優勝に貢献。横河武蔵野FCは第89回大会以来、3年振り3回目の出場、本人は昨年度の静岡産業大学での出場と合わせ2年連続2回目。1回戦グルージャ盛岡戦で試合終盤に貴重な追加点となる天皇杯初得点でチームの勝利(2-0)に貢献、2回戦で前回優勝チームのFC東京に勝利(1-0)し、クラブ史上初のJ1クラブチーム勝利に貢献。3回戦で同じJFL所属のAC長野パルセイロにPK戦の末勝利(0-0、延長0-0、PK10-9)し、4回戦でベスト8を賭けJ1クラブの柏レイソルと対戦。チームは惜敗(0-1)したが、自身は何度も決定機を作るなどJ1チーム相手にその実力を存分に発揮する。尚4回戦で対戦した柏レイソルはその年の天皇杯で優勝している。(矢部雅明 フレッシュアイペディアより)
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森田耕一郎 (サッカー選手)から見たSAGAWA SHIGA FC
2007年、佐川東京SCが佐川急便大阪SCと合併して新たに発足した佐川急便SC(後のSAGAWA SHIGA FC)に加入。元佐川大阪のGK真子秀徳とのポジション争いを制し、積極的なプレーでチームのJFL初優勝に貢献。JFLベストイレブンにも選出された。2008年はチームが下位に低迷する中でやや出場機会を減らしたが、2009年にはチームも復調し、自身初の全試合出場とともにシーズンを優勝で飾った。中でも8月2日に行われた鳥取との上位対決では、1点リードの状況で試合終了直前の相手PKを止めるなど、勝負強さも発揮した。2010年は31試合に出場、調子の波があったチームの中で安定したプレーを見せた。2011年は、村山智彦とのポジション争いによりシーズン中盤からは控えに回り、出場機会を減らした。2012年のシーズン中盤から再びレギュラーに定着。同年の天皇杯の2回戦ではヴィッセル神戸に対して好セーブを連発し、勝利に貢献した。この年限りでSAGAWA SHIGA FCが活動停止となり、退団を余儀なくされた。(森田耕一郎 (サッカー選手) フレッシュアイペディアより)
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狩野倫久から見たSAGAWA SHIGA FC
枚方FCユース時代はMF、チームのキャプテンとして活動した。卒業後はブラジルへ留学し、1996年7月SEパルメイラスU-20に入団し、カンピオナート・パウリスタ(サンパウロ州選手権)U-20に出場した。1997年3月、SEパルメイラス・アスピランチに所属。その後、1998年3月オザスコFCとプロ契約を結び、右サイドバックでカンピオナート・パウリスタに出場した。帰国後は、1999年7月からJFL佐川急便大阪SCでプレーし、2002年に引退した。2003年からは同チームの役員・実行委員、ヘッドコーチを務めた。2007年に同チームのSAGAWA SHIGA FCへの集約に伴い、SAGAWA SHIGA FCのトップコーチに就任。2008年からはSAGAWA SHIGA FOOTBALL ACADEMY ディレクター兼ジュニアユース監督を務めた。2015年よりナショナルトレセンコーチ関西女子担当として活動。(狩野倫久 フレッシュアイペディアより)