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アオウミガメから見た磯焼け
小笠原諸島や慶良間諸島・八重山諸島での上陸回数や産卵巣の数、四国から八重山諸島にかけてのダイバーによる目撃例は共に増加傾向にあり、個体群は回復傾向にあると考えられている。一方で採食域である本州・四国・九州の浅海域での磯焼けによる食物の減少、秋季から冬季に行われるイセエビ漁での刺し網による混獲、産卵地である南西諸島では開発や海洋構造物建築による砂の流出による影響が懸念されている。小笠原諸島では1876年に日本領になってから年あたり3,000頭以上を捕獲したと推定され、1880年には1,852頭が捕獲、1910年には捕獲数が数百頭になるまで激減した。1973年に小笠原諸島が日本に返還されてからは東京都知事の許可のもとに漁が行われ、漁獲量は年あたり100 - 200頭前後だが1990年に60頭、1992年に55頭と急落した時期もある。南西諸島では昭和40 - 50年代に剥製が流行し、それに伴い食用の流通も急増した。1910年から明治政府によって小笠原諸島で保護・増殖が進められた。第二次世界大戦後に小笠原諸島が日本に返還されてからは東京都や小笠原村によって調査が再開され、小笠原海洋センターによる調査が継続し漂着した死骸の調査など市民活動による調査も続けられている。(アオウミガメ フレッシュアイペディアより)
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