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アントニオ猪木から見た豊登道春
ジャイアント馬場のデビューと同日の1960年(昭和35年)9月30日、本名の猪木寛至として、東京都台東区の台東区体育館で大木金太郎を相手にデビュー(7分6秒、逆腕固めで敗退)。1962年(昭和37年)11月9日、沖縄県那覇市での長沢秀幸との試合において、リングネームをアントニオ猪木に改名。このリングネームは、先輩レスラー豊登による命名である。当時の名レスラー、アントニオ・ロッカにあやかって名付けられたという説が一般的であるが、「ブラジル帰りの日系ブラジル人」であることを強調するためなど諸説ある。なお、本名で活動中に出演したテレビドラマ『チャンピオン太』での役名「死神酋長」を気に入った力道山は、その名を猪木のリングネームにしようとしたという。(アントニオ猪木 フレッシュアイペディアより)
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アントニオ猪木から見た桑田佳祐
力道山も馬場も、その支持者は「ファン」であるが猪木のファンは「猪木信者」である。猪木信者の代表的な人物は春一番、桑田佳祐、桜井和寿、和田竜二、石橋貴明、岡野雅行など多数に上る。信者は猪木のことを「会長」または「先生」と呼ぶのが特徴。森岡隆三は、サッカーアジア杯で優勝した際に「1! 2! 3! ダァ〜!」を行っていたが、その姿を見た彼の妻に「今度猪木のマネをしたら、離婚する」とまで言われたという。和田はテイエムオペラオーで宝塚記念を勝った時には「ダァ〜!」(1! 2! 3!は無し)を、同年の有馬記念では「1! 2! 3! ダァ〜!」を行った。桑田佳祐は、サザンオールスターズのライブの際、ライブ終了後に「1! 2! 3!ダァ〜!」をやるのがかつてのお約束であった。また、ダァ〜!ばかりか桑田はライブが佳境を迎え盛り上がると、何度となくアゴを突き出しファイティングポーズを取っていた。(アントニオ猪木 フレッシュアイペディアより)
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アントニオ猪木から見たMr.Children
「この道を行けば…」という詩を自らの引退試合で引退メッセージとしてファンに贈った。これは以後新日本プロレスの道場訓となった。このセリフは後のMr\.Childrenの楽曲、『one two three』の最後の部分に引退の際のメッセージが音声そのままで収録されている。これはボーカルの桜井和寿が是非引用したいと、本人に許可を得て実現したもの。(アントニオ猪木 フレッシュアイペディアより)
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