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鈴木貴男から見たロジャー・フェデラー
翌2004年のデビスカップ対インド戦では74年ぶりの勝利に貢献する。2005年全豪オープンでは、1回戦でアメリカのジャン・マイケル・ギャンビルをストレートで下し、同大会で松岡以来16年ぶりの勝利を挙げると、2回戦でも前年優勝者のロジャー・フェデラーと好試合を展開した。ダブルスでは盧彦勳とペアを組み、ユルゲン・メルツァー/アレクサンドル・ワスケ組との3回戦まで進出した。これは1968年のオープン化(プロ解禁)以来では、日本男子としての4大大会男子ダブルス最高成績になる。同年のAIGジャパンオープンテニスでは岩渕聡とダブルスを組み、決勝でシーモン・アスペリン/トッド・ペリー組をストレートで破り、1970年の現行男子ツアー制度導入後、日本選手が組んだペアでは初のツアー優勝を飾った。(鈴木貴男 フレッシュアイペディアより)
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ヤンコ・ティプサレビッチから見たロジャー・フェデラー
ティプサレビッチは6歳からテニスを始め、8歳の時から「ニュー・ベオグラード・テニスクラブ」で練習するようになった。彼は2000年からデビスカップユーゴスラビア代表選手になったが、当時のユーゴスラビアは「ユーロアフリカン・ゾーン」の「グループ3」にいた。ユーゴスラビアは2003年に解体しセルビア・モンテネグロになり、ティプサレビッチも2004年からデビスカップセルビア・モンテネグロ代表チームの一員になった。セルビア・モンテネグロが2006年に分離したため、このチーム名は3年間のみであったが、その間にレベルを著しく上げる。2004年まではユーロアフリカン・ゾーンの「グループ2」にいたチームは、2005年から同ゾーンの「グループ1」に昇格し、2006年に初めて「ワールドグループ・プレーオフ」進出を果たした。9月22日-24日に行われたプレーオフで、セルビア・モンテネグロはスイスに1勝4敗で敗れ、ティプサレビッチも第1試合でロジャー・フェデラーに敗れたが、ノバク・ジョコビッチが第2試合でチーム唯一の勝利を挙げている。2007年9月にベオグラードで行われたワールドグループ・プレーオフで、新チームとなったセルビアはオーストラリアを「4勝1敗」で破り、このチームでワールドグループ初進出を決めた。2010年では準決勝でチェコ、決勝でフランスを破りセルビアは悲願の初優勝を果たした。(ヤンコ・ティプサレビッチ フレッシュアイペディアより)
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ジャック・クロフォードから見たロジャー・フェデラー
1933年に史上初のグランドスラム3冠を達成。グランドスラム優勝6回。グランドスラム7大会連続決勝進出記録を持ち2007年にロジャー・フェデラーに破られるまで74年間最長記録だった。(ジャック・クロフォード フレッシュアイペディアより)
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2012年全米オープン男子シングルスから見たロジャー・フェデラー
ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、ジョコビッチの3人以外が4大大会で優勝したのは2009年全米以来12大会ぶり。フェデラー・ナダル2人ともベスト4に進出できなかったのは2004年全仏以来。また2003年優勝のアンディ・ロディックの引退大会でもある。 (2012年全米オープン男子シングルス フレッシュアイペディアより)
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