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村上康則から見た上野裕一郎
駅伝のために当初は 5000m や 10000m に出場していたが、大学2年生の時たまたま出た順天堂大学記録会の 1500m では、関東インカレの標準記録を切り、3・4年生時には日本インカレ 1500m を制した。4年生の時に日本選手権に初出場し2位、富士通陸上競技部所属1年目の日本選手権でも2位と日本一も時間の問題と思われていたものの、2年目は怪我のために痛み止めを打って無理やり走る状態だった。2009年の日本選手権は、世界選手権出場がかかっていたが、気負い過ぎて練習をやり過ぎてしまい調整に失敗して5位に終わった。こうした失敗を教訓に調整に注意し、2009年12月、東アジア競技大会で、上野裕一郎(エスビー食品)に勝ち優勝したことを自信に、1年間は駅伝も走らず翌年の日本選手権に集中した。(村上康則 フレッシュアイペディアより)
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第84回東京箱根間往復大学駅伝競走から見た上野裕一郎
第84回東京箱根間往復大学駅伝競走は前年度シード10校、予選会選出9校、関東学連選抜の合計20チームで行われた。1区では前年度優勝校の順天堂大学が遅れる波乱の幕開けとなった。混戦状態で2区中継所に飛び込んだが、1区区間賞は城西大学の佐藤直樹が獲得した。2区では山梨学院大学のメクボ・ジョブ・モグスが6人抜きでチームを先頭に立たせ区間賞を獲得、三代直樹の持つ区間記録を9年ぶりに23秒更新した。また、日本大学のギタウ・ダニエルが15人抜きを達成し、中川拓郎(順天堂大学・2003年第79回大会)の2区ごぼう抜き記録に並んだ。東海大学の伊達秀晃も歴代3位となる13人抜きを達成、中央学院大学木原真佐人も区間3位の力走で2位で襷を繋いだ。3区では早稲田大学の竹澤健介が故障を抱えながらも7人抜きの力走を見せるが、山梨学院大学の首位と中央学院大学の2位は変わらず。昨年3区区間賞の中央大学上野裕一郎は一度中央学院大学を捉えたものの突き放され、終盤には失速した。4区では順位の大きな変動こそ見られなかったが後方のタイム差は大きく縮まり、2位中央大学から9位関東学連選抜までが1分7秒差の中にひしめく混戦模様となった。4区区間賞は国士舘大学の阿宗高広が道中最後方のまま1人も抜くことなく、区間記録に4秒と迫る追走で獲得した。5区では先頭山梨学院大学・高瀬無量を早稲田大学の駒野亮太と駒澤大学の安西秀幸が追いかける展開となったが、早大の駒野が今井正人の区間記録に7秒差の劇走で5人抜きを演じ、駒大の安西を振り切って区間賞を獲得、早稲田大学が12年ぶりとなる往路優勝を達成した。2位には1分14秒差で駒澤大学が入り、3位には山梨学院大学。4位には上武大学から初めて箱根に出走した福山真魚が快走した関東学連選抜が滑り込んだ。4区・阿宗が区間賞を獲得した国士舘大学はこの区間でエース・川崎健太が7人を抜いて13位に浮上している。またこの5区では順天堂大学の小野裕幸が一時は区間3位の走りをしていたが、終盤で脱水症状を起こし転倒。結局順大は残り500m地点で途中棄権し、前年優勝校としては1996年の山梨学院大以来、史上2校目のシード落ちとなった。(第84回東京箱根間往復大学駅伝競走 フレッシュアイペディアより)
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竹澤健介から見た上野裕一郎
年が明けて2007年1月2日、第83回箱根駅伝でも前年に続いて2区を走り、6人を抜き3位まで順位を上げるとモグスらを抑え区間賞を獲得した。1月21日、第12回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会(ひろしま男子駅伝)では大学生・社会人混合区間である3区にエントリー。2番手でタスキを受けると序盤から飛ばして先頭に立ち、大森輝和・上野裕一郎につぐ区間3位でまとめ、兵庫県代表として優勝を飾った。4月29日には、アメリカ・スタンフォード大学で行われたカージナル招待において27分45秒59を記録し、世界選手権の参加標準記録Aを突破した。またこれは渡辺康幸の持っていた10000m日本人学生記録を12年ぶりに塗り替えるものであり、日本歴代9位(当時)となる記録であった。6月10日、第76回日本インカレ5000mでは松岡佑起・高橋優太・上野裕一郎らをかわし優勝を飾った。続く6月30日、第91回日本選手権10000mでは28分56秒27で走り松宮隆行に次いで2位となり、世界陸上選手権大阪大会代表を確定的なものにした。(竹澤健介 フレッシュアイペディアより)
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大迫傑から見た上野裕一郎
町田市立金井中学校で本格的に陸上競技を始める。中学3年時の第33回全日本中学校陸上競技選手権大会3000mでは3位入賞。3000mで東京都中学校最高記録:8分41秒59をマークした。2007年に佐久長聖高校に進学。1学年上には村澤明伸や後に大学でも先輩となる平賀翔太や佐々木寛文らがいた。2008年に5000mで高校2年生としては史上4人目となる13分台を記録。また、1シーズンに同一高校から複数選手が13分台をマークした初の例にもなった。その年の全国高校駅伝では自ら志願してアンカーを務め、1位で襷を受けるとそのまま区間賞の活躍を見せ、またチームも外国人選手を含まない記録としては過去最高の2時間02分18秒を記録し、佐久長聖高校の初優勝に貢献した。翌2009年には2度目の全国高校駅伝に出場、大迫自身は1区で区間賞を獲得し、同じ佐久長聖高校出身である上野裕一郎に次ぐ1区日本人歴代2位となる、29分06秒を記録した。チームは4位に入った。(大迫傑 フレッシュアイペディアより)
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全国高等学校駅伝競走大会から見た上野裕一郎
正月恒例の箱根駅伝では、この区間を経験した選手が活躍する場合も多い。例えば、以前に10000mの高校記録を保持していた上野裕一郎(長野・佐久長聖高校出身)や10000mの高校記録保持者である佐藤悠基(長野・佐久長聖高校出身)のほか、時代をさかのぼればマラソンランナーとして活躍し、箱根駅伝でも圧巻の走りを見せた瀬古利彦(三重・四日市工業高校出身)など数々の名ランナーがいる。(全国高等学校駅伝競走大会 フレッシュアイペディアより)
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柏原竜二から見た上野裕一郎
10月、第21回出雲駅伝でも前年に続いて1区を走り、2007年に上野裕一郎が刻んだ区間記録タイのタイムで区間2位の成績を残した。11月1日の第41回全日本大学駅伝では1区(14.6km)を走り、出雲に続いてキラグ・ジュグナ(第一工業大学)に次ぐ区間2位となった。11月23日、第21回国際千葉駅伝には日本学生選抜として出場、ここでも1区(5.0km)にエントリー。2005年世界陸上選手権5000m銅メダリストクレイグ・モットラム(オーストラリア代表)や上野らと走り、スタートから果敢に飛ばして区間5位。日本学生選抜のスターターとして結果を残し、準優勝の一員となった。(柏原竜二 フレッシュアイペディアより)