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  • 中村紀洋

    中村紀洋から見た音楽プロデューサー

    7月14日にFA権を取得。右足首痛、持病の腰痛をこらえ、52打席ぶりの一発。この年は3割は逃したが全試合出場を果たし、42本塁打、115打点と前年同様の打棒を発揮した。この頃「メジャー移籍はあまり頭にない」と話していたこともあったが、11月5日にはFA宣言し、シーズン終了後から「中村紀洋というブランドをまず考えて、近鉄で終わっていいのか」と悩み抜いた末に、FA宣言することを決めたという。12月19日には700万ドルでの2年契約プラス3年目のオプション600万ドルでニューヨーク・メッツと契約合意したと報じられるが、12月20日にこれがメッツの公式HPに載ったことに「そんな球団は信用できない」と激怒し交渉を白紙に戻す。そのため、近鉄と再交渉を行い、監督の梨田昌孝らから慰留されたこともあり、12月21日に近鉄残留を表明した(推定4年契約20億円プラス出来高払い)。この件について中村は「確かにメッツと契約寸前までいっていた。しかしマスコミ関係から合意のネタが飛んできた。ルール違反する球団とは契約できない」とコメントし、代理人を務めた音楽プロデューサーの茂田雅美も当初は「守秘義務に違反したメッツの勇み足だった」とメッツの姿勢を批判したが、後にMLB機構とメッツから「中村側が違約の根拠としている公式ホームページの文書はMLB機構や球団の認可を受けたものではない上に、問題の記事はメッツと無関係の人物の情報に基づいている。今回の交渉に関し、メッツのルール破りは一切ない。また中村と彼のアドバイザーの茂田は各球団が選手との契約に先立ち契約内容をMLBに報告する必要があることを知らないと思われる。健康診断にパスした時点で拘束力のある合意が成立する」との声明が出され、茂田はこれを受けて「メッツが言うように、合意していたということに関して異論はない」と認め、中村の「メッツのルール違反」というコメントについて「あれは彼の言葉が足らなかった」と語った(音楽プロデューサーを本職とする茂田が代理人を務めたのは、中村が節税を目的に設立した会社の監査役を務めた縁から)。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た代打

    6月8日に一軍登録され、同日の楽天戦(Kスタ)に「7番・一塁手」でスタメン出場した。6月18日、横浜スタジアムでの福岡ソフトバンクホークス戦で代打で出場し、杉内俊哉から移籍後初本塁打。この本塁打で同点に追いつき、ターメル・スレッジの本塁打でチームは勝利した。この年は当初は代打要員がメインだったが、対左投手時のスタメンや守備固めでの起用も増えた。10月13日の阪神戦(横浜スタジアム)では、急遽プロ入り初めて二塁手でスタメン出場した。最後まで一軍登録を抹消されることは無く、62試合に出場したものの、打率.209、1本塁打、14打点の成績に終わった。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た2007年のアジアシリーズ

    育成枠で中日入団を果たすとオープン戦で結果を残し、リーグ戦開幕直前の3月22日、年俸600万円で支配下選手契約を結び、背番号も99に変更された。開幕戦から公式戦に出場し、序盤は5番や6番を、シーズン後半は故障で離脱した福留孝介の代役として3番を、クライマックスシリーズと日本シリーズでは主に5番を任された。広角に打ち分けるバッティングで打率.293(チーム3位)、2年ぶりの20本塁打(同2位)、79打点(同3位)で日本一に貢献した。9月10日には北京オリンピックアジア予選決勝リーグ日本代表候補に選出された。日本シリーズでは持病の腰痛が悪化していたため鎮痛剤を射ちながら強行出場し、打率.444(18打数8安打)、4打点と活躍。11月1日の第5戦にて日本一を決め、日本シリーズMVPを獲得した。日本一決定後のヒーローインタビューでは男泣きを見せた。アジアシリーズでは帰国したタイロン・ウッズの代役として4番に起用された。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見たバックスクリーン3連発

    大阪府大阪市出身。1985年4月17日の阪神タイガース対読売ジャイアンツの試合を観に行き、バックスクリーン3連発を観客席で見ていた。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た千葉マリンスタジアム

    300本塁打:2004年6月4日、対千葉ロッテマリーンズ12回戦(千葉マリンスタジアム)、6回表に高木晃次から右越2ラン ※史上29人目中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見たアテネオリンピック野球日本代表

    右膝のリハビリを兼ねてロサンゼルス・ドジャースのスプリングトレーニングに招待選手として参加した。渡米前に歯並びの治療を受けていたが、キャンプで守備練習中にノックの打球を歯に受け、帰国後にオープン戦を欠場し、治療を受けた。アテネ五輪の野球競技には日本代表として参加して銅メダルを獲得した。しかし、試合後の宴会で右足裏を負傷し、9月10日まで欠場した。オリンピック招集とオリンピック終了後の負傷の影響もあり、105試合の出場に終わったものの、打率.274と前年ほど悪くはなかったが、本塁打は19本にとどまり、7年ぶりに20発に届かなかった。打点も前年の67から一つ下回り66だった。そして、この年限りで近鉄はオリックス・ブルーウェーブへの吸収合併により55年の歴史に幕を閉じた。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見たベストナイン (日本プロ野球)

    ベストナイン:5回 (1996年、1999年 - 2002年)中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た日本メンズファッション協会

    6月15日、父の日に日本メンズファッション協会・日本ファーザーズ・デイ委員会が主催する「2008年度ベスト・ファーザー イエローリボン賞」を、同年から12球団から1人ずつ選定することを受けて、中日から選出された。京セラドーム大阪でのオリックス対中日戦の試合前に行われた授賞式では、「芸能人がもらう賞だと思っていた。縁がないと思っていたので嬉しい」と大いに照れながら、近鉄・オリックス時代の元同僚・北川博敏と共に表彰された。試合直前には娘3人と記念撮影。4月14日に自身2回目のFA権を取得するが、当初FA宣言には否定的な姿勢で「そんなことより来季契約してくれるだろうか、そのことが心配です」と語っていた。FA権を再取得したことも記者に尋ねられるまではその時期にきたことを知らなかったと言っていた。5月7日から自身が出演する浜乙女のラジオCM(東海ラジオ ガッツナイターのみ)が放送開始。6月17日、石川県立野球場での対西武戦で大沼幸二から2ラン本塁打を放ち、通算100猛打賞を達成。また次の打席で、元同僚の岡本真也からサヨナラソロ本塁打を放ち、通算サヨナラ本塁打記録が9本となり、王貞治・若松勉を抜き歴代3位となった。この年は打率.274と前年より下がるもホームランは24本放ち、前年同様勝負強さを見せた。11月、中日残留も視野に入れつつ「他球団からの評価も聞いてみたい」として2度目のFA権行使。11月25日に東北楽天ゴールデンイーグルスと1回目の入団交渉を行った。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た失策

    ラスベガスでは、本塁打こそリーグ17位の22本を放つも、打率.249は規定打席を満たした選手90人のうち85位と低迷、OPS.818は打者優位の本拠地で平均OPS(投手も含む)が.798のチームにあっては平凡であった。守備ではチーム最多の20失策を記録。9月5日にAAA級のシーズンが終了。団野村との代理人契約を解除し、日本球界復帰を目指した。中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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    中村紀洋から見た京都市西京極総合運動公園野球場

    初盗塁:1996年5月17日、対西武ライオンズ5回戦(西京極野球場)、4回裏に二盗(投手:新谷博、捕手:高木大成)中村紀洋 フレッシュアイペディアより)

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