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  • 日馬富士公平

    日馬富士公平から見た嘉風雅継嘉風雅継

    2012年1月場所は初日から5連勝と好スタートを切ったが、6日目に鶴竜、7日目に豪栄道と連敗。11日目には全勝だった把瑠都に敗れ3敗に後退。12日目には1敗の白鵬を3場所ぶりに送り出しで下したが、千秋楽に勝ち越しを賭けた琴奨菊に敗退して11勝4敗とまずまずの成績だった。同年3月場所は初日から4連勝と先場所に続いて好スタートを切ったが5日目に嘉風に敗れ、7日目に鶴竜に敗れ2敗に後退。12日目まで10勝2敗と優勝争いに加わっていたが、13日目に把瑠都に突き出されて3敗となり優勝争いから脱落、2場所連続の11勝4敗だった。5月場所は取りこぼしが多く(特に大関戦では把瑠都にしか勝てなかった)、千秋楽結びに白鵬に勝ってようやく8勝7敗と勝ち越しを決めた。7月場所は初日から14連勝で千秋楽を迎え、同じく14戦全勝の白鵬に勝ち、自身初の全勝優勝(幕内最高優勝は6場所ぶり3回目)を果たした。7月場所の千秋楽の取組では、白鵬が右差しを狙ったが日馬富士は左からおっつけて許さず、1度右から突き起こして左上手を取って頭をつけて右下手も取る。白鵬は左からおっつけて出ようとしたが。日馬富士は左上手投げからの寄りを決めた。9月場所は自身3度目の綱獲り挑戦となった。この場所も初日から14連勝と好調で、千秋楽に1敗で追っていた白鵬を熱戦の末、下手投げで破り、2場所連続で全勝優勝を果たした。大関での2場所連続全勝優勝は、双葉山・貴乃花以来史上3人目の快挙。また、千秋楽の勝利で連勝が31となった。日馬富士公平 フレッシュアイペディアより)

  • 豪風旭

    豪風旭から見た嘉風雅継嘉風雅継

    2014年7月場所9日目の日馬富士戦で、初金星を獲得した。この時点で35歳1ヶ月0日となっており、年6場所制(1958年以降)における最年長初金星の記録が達成された。同部屋の嘉風が場所4日目に日馬富士に勝って樹立した32歳3ヶ月27日の記録に触発され、見事に嘉風の後に続いた形となった。最終的には9勝6敗と勝ち越して、技能賞の候補にも入ったが三賞選考委員会の賛成が過半数に満たず受賞はお預けとなった。翌9月場所は新関脇。戦後最年長での新関脇昇進というスロー出世記録を作った。この昇進を受けた会見では尾車から「私は28歳で引退している。35歳でこれだけ勝てるのは、心から立派だと思う」と讃えられた。秋田県からの新関脇は、1964年5月場所の開隆山以来。迎えた9月場所は、千秋楽に勝ち越しを懸けたが、7勝8敗に終わった。東小結で迎えた11月場所は2日目に初日を出したものの3日目から12連敗と大崩れし、結局場所を2勝13敗の大敗で終えた。2015年1月場所は9勝6敗と勝ち越したものの、翌3月場所は胃腸炎と左上腕二頭筋断裂に苦しみ、4勝11敗の不振に終わった。豪風旭 フレッシュアイペディアより)

  • 琴奨菊和弘

    琴奨菊和弘から見た嘉風雅継嘉風雅継

    嘉風には、23勝6敗と勝ち越している。琴奨菊和弘 フレッシュアイペディアより)

  • 隠岐の海歩

    隠岐の海歩から見た嘉風雅継嘉風雅継

    2016年3月場所は、7敗目を喫してから6連勝で勝ち越しを決めた。11日目には通算400勝を達成した。返り三役で西小結として迎えた5月場所は、7日目までに6敗を喫し、9日目に横綱・日馬富士を破るなど見せ場は作ったが、最終的には6勝9敗で三役陥落となった。7月場所は、1横綱1大関を破るなど健闘し、千秋楽に勝ち越しを決めた。9月場所は、初日から2横綱2大関を破り4連勝。平幕力士が初日から大関以上に4連勝するのは昭和以降初めて。2日連続の金星獲得は、2015年9月場所の嘉風以来、戦後18人目。4日目の照ノ富士戦で決めた逆とったりは、2010年11月場所11日目に魁皇(現・浅香山親方)が日馬富士に決めて以来6年ぶりの決まり手だった。5日目も勝ち、6日目に琴奨菊を破り、6連勝としたが、7日目から13日目まで1勝6敗と乱調、14日目に今場所2度目の逆とったりで白星を挙げ、勝ち越しを決めた。1場所に2度逆とったりで勝利したのは幕内では初となる。2横綱を破ったことが評価され、自身初となる殊勲賞を獲得。本人は、「横綱を倒して勝ち越さないといけない。なかなかできないことだから、うれしい」とコメントを残し、翌11月場所に関脇に復帰することに関して「しっかりやることをやらないと。心の稽古も大事です」と話した。2015年3月場所以来の関脇復帰となった11月場所は、序盤から調子が上がらず黒星が先行し、中日に綱取りを狙う豪栄道に勝利したが、最終的に5勝10敗の成績に終わった。2016年3月場所は8日目の時点で3敗と優勝争いに参加していたが、9日目に4敗目を喫して優勝争いから脱落。それでも残りは11日目以外を勝って10勝5敗。8月1日の夏巡業豊田場所の時点では下半身の怪我の状態が回復に向かっているため夏巡業の稽古土俵に連日上がり続けており、この日は錦木、正代、豪風と申し合いを行って2勝2敗であった。9月場所は10日目までで4勝6敗であったが、11日目から残りを4勝1敗として8勝7敗の勝ち越し。この場所の千秋楽の日に八角に「お前、下(十両)で取りたいか」と聞かれ、その言葉引退という現実が突然、目の前に迫ってきた。「落ちたら次はないと思った。焦りが、やっと出た」と「稽古をしない」などと言われてばかりの隠岐の海は本気になった。 秋巡業では「お願いします。ジムに連れて行ってください」と、トレーニング理論をよく知る豪風に頭を下げ、巡業地に着くと真っ先に飲み屋に向いた足をジムへと変えて、3日に1度は通った。そのジム通いは福岡入り後も続けていた。ベンチプレスは当初から70?もアップした。10月6日の秋巡業横浜場所では6番申し合いを行い、4勝2敗。11月場所は改心して稽古に励んだ甲斐あって10日目に勝ち越し。勝ち越しを決めたのは通算900回出場の取組であった。最終的に11勝を挙げて敢闘賞を受賞。自身が幕内で11勝を挙げたのは2015年7月場所以来。2018年1月場所は11日目に負け越しを確定させるなど不調であり、12日目から残りを2勝2敗としたものの5勝10敗の大敗に終わった。この場所千秋楽は既に負け越していた見であったが、これより三役に登場。場所後の2月3日は、日程が重なったため例年中尊寺で行っていた節分会を欠席。代役として弟弟子の北勝富士が参加した。隠岐の海歩 フレッシュアイペディアより)

  • 旭日松広太

    旭日松広太から見た嘉風雅継嘉風雅継

    2012年5月場所を初日から10連敗したことをきっかけに「塩でも思いきり撒いたら相手が怯むかもしれない」と考えだし、11日目から制限時間いっぱいでの豪快な塩撒きを行うようになった。その塩まきが少しずつ人気を集め始めており、9月からは幕内の土俵で塩撒きを披露することで観衆を大いに沸かせている。旭日松の場合は撒かれた塩の多くが仕切り線上に集中するという特徴があり、2012年11月場所3日目の千代の国戦では立合い直後に自身が撒いた塩に足を滑らせて負けてしまった(決まり手は叩き込み)。2013年1月場所14日目には対戦相手の嘉風が仕切り線上の塩に足を滑らせるというハプニングが起こった(取組は嘉風がとったりで勝利)。旭日松広太 フレッシュアイペディアより)

  • 把瑠都凱斗

    把瑠都凱斗から見た嘉風雅継嘉風雅継

    5月場所 - 新入幕、所要12場所(前相撲から)は所要11場所の琴欧州に次ぎ、板井、小錦、栃東、朝青龍、時天空、嘉風と並び歴代2位タイ。11勝4敗で優勝次点、自身初の三賞・敢闘賞を受賞。把瑠都凱斗 フレッシュアイペディアより)

  • 錦風真悟

    錦風真悟から見た嘉風雅継嘉風雅継

    初土俵の1993年3月場所から錦風眞悟の四股名で土俵に上がった。錦風の名は同郷の栃錦と琴風に因み、眞悟の名は2歳で夭折した兄の名に因んで父が命名した。コンスタントに成績を上げ、初土俵からちょうど5年が経過して、東三段目46枚目で迎えた1998年3月場所では得意の押し相撲が冴え渡り、1番相撲で積山(後の幕内・隆の鶴)に勝ったのを皮切りに連勝を続け三段目優勝。翌場所幕下に初昇進を決めて以降3年間の成績は一進一退で、幕下中位?三段目上位の往復を繰り返していた。しかし、西幕下43枚目で迎えた2001年3月場所で再び好調を来たし、1番相撲から連勝を続け、6連勝同士の7番相撲でも潮丸に勝ち、幕下優勝。翌2001年5月場所では星勘定によっては十両昇進が濃厚とされる東幕下3枚目に昇進し、3勝1敗で迎えた9日目には当場所西十両13枚目に在位していた若東と対戦し押し出しで勝ち、4勝2敗と勝ち越して迎えた12日目には西十両10枚目の須磨ノ富士(同期)と対戦し押し倒しで敗れ、最終的に4勝3敗と勝ち越したものの十両昇進には至らず。翌2001年7月場所では自己最高位の西幕下筆頭に昇進し再び十両昇進を目指したものの、2勝2敗で迎えた9日目に東十両12枚目の武雄山と対戦し押し出しで敗れ、3勝3敗と勝ち越しを賭けて迎えた12日目に西十両11枚目の泉州山と対戦し寄り切りで敗れ、最終的に3勝4敗と負け越し。東幕下6枚目に降格し再起を図った翌2001年9月場所では中盤で負けが込み6番相撲(11日目の潮丸戦)で2勝4敗となり負け越してしまった。以上の通り、幕下上位における十両力士との対戦を5回経験し、2勝3敗であった。以降も引退に至るまで殆どを幕下中位?三段目上位で過ごすも関取には上がれなかった。2011年に大相撲八百長問題で3月場所が中止になった際には傷心の余り引退を決意したが、嘉風が若麒麟逮捕事件の時に必死で部屋をまとめたことを思い出し、その決意を無駄にしないために現役を続投。2014年5月場所で、1986年3月場所から一度も休場していなかった北斗龍(北の湖部屋)が初めて休場を届け出て、連続出場記録がストップして以降、現役力士の連続出場記録は錦風が持っていた。現役中は一度も休場しないまま、2015年1月場所限りで現役を引退した。現役最後の相手は鳥羽の山で、最後は勝って現役を終えた。鳥羽の山もこの一番を最後に現役を引退したが、これについて鳥羽の山は「最後が錦風で良かった」と言っていたという。引退後は、同年2月1日付で日本相撲協会に世話人として採用された。番付編成会議後の引退のため、2015年3月場所の番付には力士として名前が残っている。同年4月29日の断髪式の際には若兎馬など260人が駆けつけており、止め鋏は師匠の尾車が入れた。錦風真悟 フレッシュアイペディアより)

  • 佐野皓大

    佐野皓大から見た嘉風嘉風雅継

    同郷(佐伯市出身)の大相撲力士・嘉風が母親のいとこの友人に当たる縁で、オリックス2年目のシーズン終了後には、嘉風が所属する尾車部屋の門を叩いた。嘉風自身も、佐野の実家の焼肉料理店を訪れたことがあるという。佐野皓大 フレッシュアイペディアより)

  • 北の富士勝昭

    北の富士勝昭から見た嘉風雅継嘉風雅継

    2015年11月場所4日目で白鵬 - 嘉風との対戦で白鵬が立合い変化気味に見えたため場内は騒然。ラジオ第1に解説として出演していた北の富士はその様子から「今日は街に出ない方がいい」と発言。その理由として1989年11月場所5日目で千代の富士が寺尾を土俵に叩きつけるような吊り落としをした際、夜に街に出るといろいろな人たちから「あれはないだろう」と千代の富士の親方として文句を言われたことを明かした(寺尾は鹿児島県出身、嘉風も大分県出身であり、どちらも九州場所での出来事でもあったため)。その経験もあり白鵬には「今日は部屋でおとなしくしてること」をラジオ上でアドバイスした。北の富士勝昭 フレッシュアイペディアより)

  • 吉田賢

    吉田賢から見た嘉風嘉風雅継

    ※本場所中の平日は大分出身の関取である嘉風の毎日の取組の解説を、大分放送局の夕方6時台のニュース番組「しんけんワイド大分」で行っている。吉田賢 フレッシュアイペディアより)

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