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日本の鉄道史 (大正-昭和前半)から見た広島電鉄
また終戦の直前には原子爆弾が広島と長崎に投下され、両市周辺の鉄道網は大損害を受けた。広島駅では職員926名中死者11名、重軽傷者201名を出している。一方、広島では被爆当日から救難列車が仕立てられ、翌日の7日宇品線が、8日に山陽本線が開通した。長崎でも被爆直後から救難列車が仕立てられ、爆心地近くまで進入して被災者を収容し諫早や佐世保の軍病院に送り込んだ。鉄道施設の多くは爆心地から比較的はなれていたため、鉄道網の壊滅は免れた。広島電鉄では被爆直後より生き残った職員(女子職員が多くを占めていた)による列車運行が再開された。(日本の鉄道史 (大正-昭和前半) フレッシュアイペディアより)
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日本の鉄道史 (昭和後半)から見た広島電鉄
大都市では自動車が増え道路の混雑がひどくなった結果、路面電車の軌道が交通の障害とみなされるようになった。東京では1964年から路線が順次廃止され現在荒川線のみが運行している。大都市の路面電車の全廃は1969年の大阪市電が最初で、名古屋や京都などの他の大都市も順次全廃していった。一方札幌、広島、高知、熊本等の地方中核都市では現在でも市民の足として活躍している。(日本の鉄道史 (昭和後半) フレッシュアイペディアより)
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