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和田貴範から見た日本通運硬式野球部
2003年に新日鐵君津から衣替えした市民球団かずさマジックに入部。かずさ1期生となる。その年チームは2大大会(都市対抗野球大会・社会人野球日本選手権大会)に出場を果たすが、ほとんど出場機会がないまま初年度を終える。2年目からチームは2大大会の出場を逃し続けるが、和田はサードのレギュラーを獲得し、2004年にはホンダ、2005年にもホンダ、2006年にはJFE東日本の補強選手として3年連続で都市対抗でチームの上位進出に貢献。2006年には慣れないセカンドを東京ドームで守りながらチームの8強入りに貢献し、大会優秀選手に選出された。2007年は日本通運の補強選手となり、4年間で南関東地区のライバルチームすべてのユニフォームに袖を通した。(和田貴範 フレッシュアイペディアより)
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都市対抗野球大会 (埼玉県勢)から見た日本通運硬式野球部
1957年(第28回大会)に浦和市・日本通運が本大会に出場し、1967年(第38回大会)に大和町・本田技研がこれに続くと、埼玉県からはこの2チームが頻繁に出場を果たしている。両チームとも優勝経験、準優勝経験を有し、2004年から9年間、2チーム揃っての出場が続いた。(都市対抗野球大会 (埼玉県勢) フレッシュアイペディアより)
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