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日米中正三角形論から見た普天間基地
このように、鳩山由紀夫内閣は沖縄のアメリカ軍基地である普天間基地県外移設を目指したが移設先がなかなか決まらず、アメリカに対し不信感をつのらせ、日米関係が悪化していった。5月4日、鳩山首相は「学べば学ぶほど海兵隊の抑止力が分かった」と記者団に述べ、「最低でも県外移設」という約束を守るのが困難であることが明らかとなった。これも一つの要因となり、2010年6月、鳩山内閣は総辞職に追い込まれた。アメリカのジェフリー・ベーダー国家安全保障会議アジア上級部長は「話している人が権限を与えられているのかどうか、翌日に無効にされないかどうか、といった点が複雑で、混乱させる状況だった」と鳩山由紀夫内閣を評した。(日米中正三角形論 フレッシュアイペディアより)
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国道58号から見た普天間基地
国道58号の沖縄県内部分は、米軍が整備・指定したHighway No.1(那覇市 - 国頭村)がその起源となる。この道路は那覇軍港、普天間基地、嘉手納基地などを繋ぐ、基地の島・沖縄の大動脈であり、当時は緊急時の滑走路としての利用も考えられて作られていた。1952年4月1日の琉球政府発足後、琉球政府の道路法に基づき、読谷村大湾 - 名護町名護 - 国頭村奥は政府道一号線(政府道は日本の国道に相当)に認定されたが、那覇市明治橋 - 読谷村大湾は米軍が管理する軍道のままであった。なおこの時期は舗装はなされていたものの、歩道などの付属設備等はそれほど進んでいなかった。読谷村 - 名護町についても、政府道にはなっていたが、管理は米軍が行っていた。1972年4月25日、軍道の管理が琉球政府に移管された。以下に述べるように国道58号となった後も沖縄県内では一般には時に1号線と呼ばれた。(国道58号 フレッシュアイペディアより)