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山内清男から見た東北地方
その後、毎年のように東北地方各地の貝塚を発掘調査し、縄文土器の資料操作や層位的な所見に基づいた研究成果を蓄積していった。山内は1932年から1933年に、その成果を「日本遠古之文化」として雑誌『ドルメン』誌上に発表した。一方、1933年に東北帝国大学医学部を依願解職し、仙台と東京を行き来する生活となる。一時期、「パピルス書院」という文具店を経営し、日本で最初の横書き原稿用紙を製造・販売していたが、これもすぐに閉鎖して、以降どの研究機関にも属さない研究生活を送ることになる。1924年11月には、原始文化研究会を創立して、月例会を主催するようになる。この頃になると、山内や八幡一郎、そして甲野勇ら鳥居龍蔵の弟子達(いわゆる「編年学派」、「三羽烏」)による土器の編年に基づいた相対年代の決定は、特に大山柏が主催する大山史前学研究所や、山内らよりも下の世代の考古学徒のなかで支持を得始めていたが、これより上の世代には不審の目を持って受け取られていた。そうしたなか記紀の記述に基づき常識による「常識考古学」を主張する喜田貞吉との間に意見の相違が生じ、その衝突は1936年のミネルヴァ論争で最高潮を迎えることになる。(山内清男 フレッシュアイペディアより)
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2013年のサッカーから見た東北地方
【JFA・高体連】第21回全日本高等学校女子サッカー選手権大会決勝が磐田スポーツ交流の里・ゆめりあで行われ常盤木学園高(東北第1・宮城)神村学園高(九州第1・鹿児島)を2-0で下し2年連続5回目の優勝。(2013年のサッカー フレッシュアイペディアより)
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ロックンロールオリンピックから見た東北地方
1981年(昭和56年)、HOUND DOGのボーカル・大友康平(宮城県出身)がプロデュースして、スポンサーもないままR&Rオリンピックは初開催された。開催場所は、宮城県仙台市の南に接する同県柴田郡村田町のスポーツランドSUGO(以下SUGO)というサーキットの中央にあるSP広場に設営された野外特設会場。当時としては東北地方最大級の6500人を集客して成功を収めた。これを第1回とし、翌年の第2回も1万人の観客を集め、以後、毎年夏にSUGOで開催されたが、バブル崩壊および(第二次)バンドブームの終焉と共に、第14回となる1994年(平成6年)をもって終了した。(ロックンロールオリンピック フレッシュアイペディアより)