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オウム真理教から見た松本サリン事件
当初はヨーガのサークルに過ぎなかったものの次第に常軌を逸した行動が見え始め、出家信者に全財産を布施させたり、麻原の頭髪や血、麻原の入った風呂の残り湯などの奇怪な商品を高価で販売するなどして、多額の金品を得て教団を拡大させた。内部では懐疑的になって逃走を図った信者を拘束したり殺害するなどして、1988年から1994年の6年間に脱会の意向を示した信者が判明しているだけでも5名が殺害され、死者・行方不明者は30名以上に及び、恐怖政治で教祖への絶対服従を強いていた。当初より奇抜、不審な行動が目立ったため、信者の親などで構成される「オウム真理教被害者の会」(のちに「オウム真理教家族の会」に改称)により、司法、行政、警察など関係官庁に対する訴えが繰り返されたが、全く取り上げられることなく、その結果、坂本堤弁護士一家殺害事件をはじめ松本サリン事件、地下鉄サリン事件などのテロを含む多くの反社会的活動(「オウム真理教事件」)を起こしたほか、自動小銃や化学兵器、生物兵器、麻薬、爆弾類といった教団の兵器や違法薬物の生産を行っていた。(オウム真理教 フレッシュアイペディアより)
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池田大作サリン襲撃未遂事件から見た松本サリン事件
地下鉄サリン事件後にオウムへ集中捜査が入り教団幹部らが逮捕され、裁判では立件はされていないが、松本サリン事件に至る前日談として言及され、麻原彰晃、村井秀夫が首謀して遠藤誠一、新実智光、中川智正、滝澤和義らと犯行を行ったことが認定された。(池田大作サリン襲撃未遂事件 フレッシュアイペディアより)
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オウム真理教事件から見た松本サリン事件
特に注目される事件として、教団と対立する弁護士とその家族を殺害した1989年11月の坂本堤弁護士一家殺害事件、教団松本支部立ち退きを求める訴訟を担当する判事の殺害を目的としてサリンを散布し計7人の死者と数百人の負傷者を出した1994年6月27日の松本サリン事件、教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱を目的に5両の地下鉄車両にサリンを散布して計12人の死者と数千人の負傷者を出した1995年3月20日の地下鉄サリン事件が挙げられる。毎日新聞ではこれら3つの事件に対してオウム「3大事件」(オウムさんだいじけん)と表現している。(オウム真理教事件 フレッシュアイペディアより)