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クレイグ・モットラムから見た柏原竜二
2009年、モットラムはケガを抱えてレースに出場することができず、世界陸上競技選手権大会にも出場できなかった。この年にはプロ転向以来の所属であったナイキを離れて、アディダスと契約した。また、かつてスティーブ・モネゲッティを指導したクリス・ワードローをコーチに迎えた。11月になってようやく1年ぶりのレース復帰が叶い、国際千葉駅伝に出場した。1区5kmを13分23秒で走り上野裕一郎・柏原竜二らに先着して区間賞を獲得した。(クレイグ・モットラム フレッシュアイペディアより)
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上野渉から見た柏原竜二
駒澤大学進学後に1年生でトラック5000mで13分台、10000m28分台に突入し、第86回箱根駅伝予選会(20km)では1時間00分17秒の個人17位で健闘をするが、本選では故障で欠場をした。2年生になった上野は、第22回出雲駅伝で5区を走り、区間新記録を樹立。第42回全日本大学駅伝では鎧坂哲哉・大迫傑・柏原竜二に次いで区間5位の力走を見せ、第87回箱根駅伝で3区を任され、前回欠場のリベンジを成し遂げて区間5位の力走を見せて3位に貢献を果たす。第23回出雲駅伝で2区を走り、区間2位で区間新。第43回全日本大学駅伝では4区を走り、区間賞を獲得し、チームの優勝に貢献した。第88回箱根駅伝は7区を任されて、区間2位と悔しさを残した。3年の終盤にハーフマラソンのタイムを大幅更新をした。最終学年では主将として、眼鏡からコンタクトレンズに変えた。第24回出雲駅伝は3区を走ったが、チームは5位で敗れる。第44回全日本大学駅伝で2年連続で4区を走り、区間4位で優勝と大会新記録に貢献。第89回箱根駅伝はでは9区(23.2km)にエントリー、6位でタスキを受け取り、帝京大学と序盤から権太坂まで併走、中盤からペースアップをして、前を行く早稲田大学・明治大学を抜いて、終盤に3位に浮上をして、区間賞と総合3位、復路優勝に貢献をした。(上野渉 フレッシュアイペディアより)
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大西智也から見た柏原竜二
中学入学後はバスケットボール部に入部予定だったが、三つ子の兄・一輝が先に入ったため、それを避けて陸上競技を始める(ただし兄も後に陸上競技部へ転部)。高校時代には全国都道府県対抗男子駅伝の代表に兄弟で選出される。高校卒業後は兄弟をセットではなく、一人ずつ個人としてスカウトしてくれたという理由で東洋大学へ進学。大学入学後は川嶋伸次、佐藤尚らの指導を受けた。1年の第82回箱根駅伝で5区を走り、序盤から東海大学・伊達秀晃と併走する場面を見せる。第83回箱根駅伝では1区を任され、区間新記録を打ち立てた佐藤悠基に喰らい付こうとする走りを見せた。2009年、第85回箱根駅伝では3区を竹澤健介、佐藤悠基に次ぐ区間3位で走り、柏原竜二らとともに東洋大学初優勝に貢献した。(大西智也 フレッシュアイペディアより)
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ガンドゥ・ベンジャミンから見た柏原竜二
全日本大学駅伝では1年時に4区を担当。9位で受けた襷を4位に押し上げ、区間賞となった。8区でもギタウ・ダニエルが区間賞の好走で日大は総合優勝を果たした。2年時には最終8区を担当。襷を受け取った時点で11位、翌年のシード権を獲得する6位(日本体育大学)までのタイム差は2分14秒あったが、日体大のみならず、明治大学、中央大学も抜き去り、総合4位でゴールした。この時のタイム(56分42秒)はメクボ・ジョブ・モグスに次ぐ区間歴代2位だった。3年時も連続して8区を担当。柏原竜二(東洋大学)に及ばず区間2位となり、4年間で唯一区間賞を逃した。なおチーム総合順位は襷を受けた時点の6位を4位に押し上げた。4年時もやはり8区を担当。この時は襷を受け取った時点で順位こそ9位だったが6位(中大)とのタイム差は3分02秒と、約1kmの差があった。それでも区間賞の好走で総合6位となり、翌年のシード権を獲得した。(ガンドゥ・ベンジャミン フレッシュアイペディアより)
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ギタウ・ダニエルから見た柏原竜二
2009年の関東インカレでは、800m、1500m、5000m、10000mの四種目に出場し、全て優勝。関東インカレ初の四冠を成し遂げた。800mではその年の10月に800mの日本記録を更新する横田真人(慶應義塾大学)を下し、大会新記録での優勝であった。第21回出雲駅伝では前年度に引き続き6区アンカーを務め、前年の自身の記録を11秒縮める区間新記録を樹立。日本大学出雲駅伝連覇に貢献した。続く第41回全日本大学駅伝では8区アンカーを務め3位で襷を受け取ると、先頭を行く明治大学との1分53秒差を逆転。2位東洋大学まで3分36秒差に広げ、日本大学4年ぶり3度目の優勝に貢献した。2010年、第86回東京箱根間往復大学駅伝競走では5区山登りに挑み柏原竜二と対決するとの事前報道がなされたが、2区(23.2km)に出場しモグスの刻んだ区間記録更新と日本大学による大学駅伝完全制覇に挑んだ。13番手でタスキを受けると11人を抜き明治大学につぐ2番手で戸塚中継所に到着、1時間07分37秒で箱根駅伝では初めて区間賞を獲得したが、「最初の1キロを抑え過ぎた。朝、寒くて体が動かなかった」と回顧する走りとなった。(ギタウ・ダニエル フレッシュアイペディアより)
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伊藤正樹 (陸上選手)から見た柏原竜二
大学卒業後コニカミノルタに入社。2013年元日の第57回ニューイヤー駅伝では5区を走り、社会人ルーキーながら区間賞を獲得。コニカミノルタの5年ぶり7度目の優勝に貢献した。同年の第47回青梅マラソンでは、注目を集めていた柏原竜二(富士通)を抑え、1時間30分21秒(30km)という記録で33年ぶりに大会記録を更新し優勝を果たした。(伊藤正樹 (陸上選手) フレッシュアイペディアより)