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浜通りから見た南朝 (日本)
南北朝時代になると、相馬氏は小高を本拠地として北朝方につき、岩城氏は初めのうち南朝方についたが、後に北朝方についた。南北朝時代・室町時代には、海道・仙道(山道)・会津という後の浜通り・中通り・会津に対応する地域区分が現われた。海道は東海道とも呼ばれ、岩崎郡(後の磐前郡)、岩城郡、楢葉郡、標葉郡、行方郡の5郡が該当した。後の福島県内でも宇多郡は入らない。北朝の勝利が確定した後も、陸奥国では奥州管領・奥州探題や鎌倉公方の対立のせいで上位権力が分裂する時代が続いた。そこで相馬・岩城を含む海道5郡の10氏は、応永17年(1410年)に五郡一揆を結んで相互の協力による紛争解決を約した。(浜通り フレッシュアイペディアより)
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