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長崎慶一から見た真弓明信
1983年6月4日の阪神戦(横浜スタジアム)で、岡田彰布の左中間へのフライを追って中堅手の加藤博一と衝突。この時、長崎の顔面と加藤の顔面がぶつかったので、『プロ野球珍プレー好プレー大賞』では「空中キッス」と呼ばれ珍プレー大賞を受賞した。なお、受賞したのは加藤だけである。1985年、池内豊投手との交換トレードで阪神タイガース(以下、阪神)へ移籍。この年、阪神は21年ぶりにセ・リーグを制覇した。8月1日の中日戦には、前日の試合でランディ・バースが自打球を当て骨折したため、一塁手としてスタメン出場を果たす。しかし、8年振りの一塁守備にぎこちなさを感じた首脳陣は、翌日から真弓明信を一塁に回した。そして、同年の日本シリーズ(対西武ライオンズ)第6戦では勝利を決定付ける満塁本塁打を放ち、チーム初のシリーズ優勝に貢献している。(長崎慶一 フレッシュアイペディアより)
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堀江政生のほりナビ!!から見た真弓明信
ナイターシーズン中の拡大放送の初回はプロ野球セ・パ交流戦の予備日に当たる5月16日(木曜日)で、ファーストシーズンの同曜日で堀江のアシスタントを務めた八塚が出演したほか、朝日放送野球解説者の真弓明信をゲストに迎えた。以後も、交流戦期間中の火-金曜で元から試合予定が組まれていない場合には、TBSラジオ(火曜-木曜)・ニッポン放送(金曜)からの予備番組の同時ネットではなく拡大版を放送している。(堀江政生のほりナビ!! フレッシュアイペディアより)
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岡田彰布から見た真弓明信
入団1年目の、監督のドン・ブレイザーは「岡田はまだ新人。じっくり鍛えた方がいい」という考えの下、岡田に二塁や外野の練習をさせていた。岡田はブレイザーとの初対面で通訳兼任コーチの市原稔を介して「いくら力のあるルーキーでも、メジャーリーグでは最初からいきなり試合起用することはない」と告げられ、「そんなん関係ないやん」という反骨心が芽生えたと後に著書に記している。当時は三塁に掛布雅之、遊撃手に真弓明信、二塁手に中村勝広、榊原良行、ヤクルトスワローズから獲得したデーブ・ヒルトンと、岡田の入る場所がなかった。しかも、ヒルトンはアリゾナキャンプの途中からチームに合流したため、二塁へのコンバート計画を聞いていた岡田は「なぜ二塁手のヒルトンを獲得するのか」と複雑な気持ちになり、まもなくブレイザーからは外野の練習をするように指示されたという。(岡田彰布 フレッシュアイペディアより)