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上里一将から見た石川直宏
背番号は前年に前田俊介が背負っていた背番号32を与えられる。この年のFC東京はJ2ながら日本代表の今野泰幸、権田修一、石川直宏をはじめ、徳永悠平、森重真人、高橋秀人、梶山陽平ら実力者を擁し、Jリーグ全体としても屈指の戦力を有していた為に激しいポジション争いを強いられた。シーズン開幕前のキャンプでは左サイドハーフ、左サイドバックとしての適性も見せたが、リーグ戦が始まるとこれらのポジションでは、前年にセリエAに移籍した長友佑都の穴を埋める活躍を見せていた中村北斗や、若手の田邉草民、椋原健太が主力として起用された。一方、監督の大熊清からは中盤での展開力を買われ主にセグンド・ボランチ(攻撃型ボランチ)として梶山陽平らとポジションを争った(梶山を前線に押し上げる形での併用もあった)。リーグ戦では開幕戦以外の全試合にベンチ入りを果たし、出場時間こそ多くなかったものの起用された試合では期待に応える働きを見せ、チームがJ1昇格を決めた11月19日のJ2第36節鳥取戦では後半ロスタイムに移籍後初ゴールを挙げるなどJ2優勝に貢献した1人となった。また、同年開催の天皇杯でも2回戦以降の全試合にベンチ入りし、チームは優勝を果たすが上里の試合出場は適わなかった。シーズンオフの2012年1月10日にFC東京から上里の移籍期間満了が発表され、同日、徳島ヴォルティスに期限付き移籍する事が所属元の札幌・徳島双方から相次いで発表された。(上里一将 フレッシュアイペディアより)
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戸田光洋から見た石川直宏
2000年、Jリーグ・FC東京に入団。ここで大熊清監督から守備意識を叩き込まれたことがその後のサッカー人生につながった。2001年、FWを2トップから1トップへと変更したことに伴い、MF(左サイドハーフ)に配されるようになる。当初はFWへのこだわりを捨てられずにいたが、2002年に就任した原博実監督によって、ポジションの固定観念を捨ててサイドからゴールを狙うスタイルを身に付け、同年J1・1st第8節サンフレッチェ広島戦でハットトリックを記録した。右サイドのMF石川直宏がサイド突破を仕掛けていくのに対し、戸田は左から中、時には右へとピッチを横切る破天荒なダイアゴナルランで相手をかき回し、チーム1のスタミナと運動量で原が志向するサッカーのシンボル(石川談)として活躍。2003年にはチーム唯一の公式戦全40試合出場を記録した。献身的な守備とチャンスメイクが光る一方、決定力には欠け、原からは「戸田は(1シーズンで)30点くらい取っていてもおかしくない(くらいに多くの決定機を作っていた)よね」と評されていた。(戸田光洋 フレッシュアイペディアより)