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ターンベリーから見た石川遼
コースセッティングの難度は高くないが、クライド湾に伝わる巨人伝説に因んで"ジャイアント"と呼ばれる海風を含む天候とも対決するため、他の全英オープンの開催コースと比較して独特な難しさがあり、2009年大会(7204ヤード、パー70)ではアマチュア時代から通算して14回目の全英出場で、このコース初挑戦だった33歳のタイガー・ウッズがティーショットも、アイアンショットも不調で予選落ちを喫するなど、初体験の世界ランキング上位の選手は軒並み苦しんだ。ウッズのメジャー大会での予選落ちは、父親の死去で調整不足だった2006年の全米オープン以来の出来事で、プロ入りしてから2度目であった。ウッズは好天の初日は71でしのいだが、ジャイアントと雨の2日目にはティーショットがフェアウェイを捉えたのは7度のみ。突如ジャイアントの吹いた10番ホールではティーショットを右に曲げて観衆の後方のラフに飛ばしてしまい、ギャラリーや同組の石川遼およびリー・ウエストウッドとボールを探すと2度、計2個見つかったが、いずれもウッズの物ではなくロストボールとなり、打ち直しの暫定球でプレイ再開して4オン2パットのダブルボギー、13番ホールもダブルボギー、16と17番ホールはバーディで持ち直すも、この日のスコアは74、2日間通算5オーバーで予選落ちした。全英初出場・17歳の石川遼は、リー・マッカランをキャディに従え、ウッズと2日間同じ組で廻った。初日は、5バーディ3ボギーの68で21位の好スタート。荒天の2日目は、ウッズと同じくティーショットがフェアウェイを捉えたことは7度でボギーを連発した。10番ホールではフェアウェイ右のラフからの第2打はグリーン手前のアイランドバンカー(後述)中央にある膝より深いラフに捕まり、アンプレアブル(打球不能状態)で1打罰を選択してダブルボギーで、ラウンド後「あそこから風に気持ちが負け始めた」とコメント。その言葉通り、11から15番ホールは連続ボギー、この日石川は78を叩き、2日間通算6オーバーで予選落ちした。2009年の予選通過ラインは4オーバーであり、他の日本勢の予選結果は、久保谷健一が初日5アンダーでワトソンらと並び2位タイ、2日間通算では3アンダーで予選通過、今田竜二も3オーバーで悲願の予選通過、池田勇太7オーバー、矢野東9オーバー、近藤共弘10オーバー、小田孔明14オーバーで予選落ち。4日間通算では、久保谷は4オーバーの284で27位、今田は11オーバーで64位だった。(ターンベリー フレッシュアイペディアより)
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Kochi黒潮カントリークラブから見た石川遼
ジュニアの育成に積極的であり、ジュニア料金を設定している他、「黒潮ジュニア選手権」(第11回大会までは「Kochi黒潮ジュニアカップ」)と称したジュニアの大会を開催したり、石川遼などを招いたジュニアクリニックも行っている。(Kochi黒潮カントリークラブ フレッシュアイペディアより)
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相模原ゴルフクラブから見た石川遼
完成は1955年4月29日。初代クラブハウスは谷口吉郎の設計により建てられた。1959年には初の日本オープン選手権が、1975年には日英対抗ゴルフ大会が行われた。1980年には2回目の日本オープンが開催され、全米オープン2位の青木功を一目見ようと大勢のギャラリーが詰め掛けた。1981年にはマツダジャパンクラシックが開催されたほか、1979年の日本アマ、1997年のゴルフ東西対抗競技大会、2000年の日本学生が行われ、2007年10月に行われた3回目の日本オープンは5月のツアーで初優勝した石川遼の出場もあり、大勢のギャラリーが詰め掛けた。(相模原ゴルフクラブ フレッシュアイペディアより)
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