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神戸空港から見た成田国際空港
一方、1972年当時は、大阪国際空港の騒音が裁判にもなり、また公害反対を強く主張する革新勢力に力があった時代でもあったことから、神戸市会は神戸沖空港反対決議を賛成多数で可決。翌年の市長選挙では空港問題が争点となり、当時の宮崎辰雄市長も神戸沖空港の反対を表明、空港推進派が推す砂田重民を退けて再選された。このような経緯もあり、翌年に出された答申は泉州沖を最適とした。宮崎市長の反対の背景には、高度経済成長と共に社会問題となっていた公害、環境問題に対する世論の関心の高まり、成田・伊丹を契機とする、反騒音・反公害運動の活発化を無視できなかったことにある。事実、1970年からの泉州各市と2度にわたる大阪府の泉州案反対決議、淡路島の各自治体による淡路案反対決議、伊丹市の大阪空港撤去都市宣言(1973年10月)など、この時期は空港そのものに対する反対がかなり強いものであった。泉州沖の答申が出た後でも、例えば1976年の泉州沖の観測塔設置について、「空港の建設を前提としたものではない」と府知事が国と約束するなど、なお根強い反対に配慮する必要があったほどである。このように大阪湾岸の自治体がこぞって反対をしている中で、神戸市は神戸沖に積極的と見られていただけに、神戸の反対は立地を審議する審議会に対する影響が大きく、この経緯が立地選定に決定的だった、とする意見は現在でも多い。しかし同時に、泉州は人口が比較的少なく開発余地が多いことから、当時の視点ではむしろ神戸沖以上の高い評価点を得ていた。(神戸空港 フレッシュアイペディアより)
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神戸空港から見たチャーター便
開港時の便数は、日本航空 (JAL)と全日本空輸 (ANA)がそれぞれ1日10便、スカイマーク (SKY)が1日7便。いずれの航空会社も東京/羽田便が中心になり、SKYの全7便と、JALとANAがそれぞれ2往復で、東京/羽田線は3社計11往復。その他の就航先は札幌/新千歳(3便)、仙台(2便)、新潟(2便)、熊本(1便)、鹿児島(4便)、沖縄/那覇(4便)であり、合計27便で開港した(カッコ内は開港時の設定便数)。しかし、開港前の2005年11月14日に開催された「関西3空港懇談会」で、当時集客・利用促進が課題となっていた関西国際空港に配慮した運用規制が設けられ、発着回数は1日あたり60便(30往復)まで、国際定期便・チャーター便(オウンユースを除く)の運航禁止、運用時間15時間(7時から22時まで)と規制され、海上空港としての機能を活かしきれない状態での出発となった。(神戸空港 フレッシュアイペディアより)