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立川談志から見た吉本興業
評価できない人物に対しては正直に罵倒混じりの辛辣な批評を飛ばし、高座では差別用語も遠慮無く連発するなど、タブーを物ともしない過激な毒舌家として有名だが、一方では自他共に認めるフェミニストであり日和見主義でもある。そのタブーを物ともしない姿勢として特に有名なのが吉本興業批判で、自著では初代桂春団治が晩年に非業の死を遂げた例を挙げて「あそこ(吉本興業)の使い捨て体質は戦前から(創業時からの伝統)なんだよ」と批判していた。これに対し、談志の著書で名指しで批判されたことがある元吉本興業社長中邨秀雄は『私の履歴書』の中で「談志は芸に対しては謙虚な男」と述べ、談志の芸への姿勢を評価している。およびに、中邨と談志は、若手のころからの付き合いがあり、当時、中邨が談志にアドバイスしたことを談志は、覚えており、それを守り続けていったという。また、同書にて、談志が何度か、吉本の劇場である花月に足を運び、そこで、気になる芸人を細かく観ていたという。また、談志自身も花月にて、独演会を開いたことがあった。弟子がよく語るところによれば、「芸人100点、人間0点(人格は最低だが芸は最高)」。(立川談志 フレッシュアイペディアより)
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