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    米米CLUBから見たアリーナ

    また、ただ観せるだけではなく、石井を筆頭とするメンバーのパフォーマンスにより、観客をショーに巻き込む手腕も一流で、皆がシュークリームシュの振り付けを真似て踊ることも定番となり、アリーナクラスのホールでは壮観な客席風景となった。観客が振り真似などをするコンサートは当時まだ少なく、客席が舞台と一体感を味わうための創意工夫がされたコンサートの先駆けであった。メンバーの衣装を真似て自作しコンサートに着てくるファンも多く、コスプレの先駆けでもあった。それらが話題となり、コンサートのチケットは常に入手困難であったため、家庭用ビデオの普及も背景に、コンサートを収録したビデオの発売が熱望され、後に、映像作品としても評価されるコンサートビデオを制作した。米米CLUB フレッシュアイペディアより)

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    米米CLUBから見た演出

    ファンクミュージックをベースとした楽曲や演奏技術、メンバーの音楽センスは、高く評価する声もあったが、奇抜な衣装やメイク、コントのようなMCやキャラクター重視で寸劇混じりの演出などにより、デビュー当初は“イロモノ”として扱われることが多かった。当時、同じソニー系列のレコード会社に所属していた聖飢魔II、爆風スランプと合わせて「ソニー三大色物バンド」と呼ばれていたこともあった。米米CLUB フレッシュアイペディアより)

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    米米CLUBから見た東京ドーム

    2人の脱退をきっかけに、次第にバンド活動に困難が生じ、人気面にもその影響は現れるようになる。脱退した2人に対するエールの意味合いを込めてリリースされた「JUST MY FRIEND」では皮肉にもオリコントップ10から大きく外れ、翌1996年の「STYLISH WOMAN」ではオリコン20位以内にすら入らないなどヒット曲が出せなくなり、人気に陰りが見えてくる。この年は一切のライブ活動は行われず、11月に解散の発表がされ、1997年3月5日・6日に東京ドームで行われた「THE LAST SYMPOSIUM」を最後に解散、以後各々ソロ活動に入った。米米CLUB フレッシュアイペディアより)

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    米米CLUBから見たトロンボーン

    河合わかば(河合伸哉):トロンボーン、サックス(1986年 - 解散, 2006年4月 - )米米CLUB フレッシュアイペディアより)

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    米米CLUBから見たポンキッキーズ

    Child's days memory - フジテレビ系「ポンキッキーズ」内『P-Kiesメロディ』(1995年-1996年)米米CLUB フレッシュアイペディアより)

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    米米CLUBから見たニュー・ロマンティック

    音楽的にはバリエーションが非常に豊富で、主なジャンルはR&B、ソウル音楽、ニュー・ロマンティック、ポップ・ロック、ブラス・ロック、ムード歌謡、ファンク等。楽曲面は別として、編曲面ではBIG HORNS BEEの存在は非常に重要なものになっている。米米CLUB フレッシュアイペディアより)

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    米米CLUBから見た芸術

    1982年11月23日に、慶應義塾大学三田祭でオリジナル曲8曲と山本リンダの「狂わせたいの」を披露。その場限りのおふざけバンドのつもりが、観客の好評を得た。メンバーも、ライブに空間的総合芸術の光を感じ、以後ライブハウスで活動を重ね「謎のパフォーマンス集団」などと呼ばれテレビや雑誌にも登場して話題となり、1985年10月21日に、シングル「I・CAN・BE」、アルバム『シャリ・シャリズム』で、CBSソニー(現 ソニー・ミュージックエンタテインメント)からデビュー。この頃、シングルやアルバム、雑誌では「米米クラブ」と表記されていた。だが、デビューお披露目ライブ直前にドラマーが脱退し、急遽スタッフが連れてきたcharがドラムを担当することになった。それ以降、charと米米クラブとは親密な仲となっていく。米米CLUB フレッシュアイペディアより)

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    米米CLUBから見たE・B・I・S

    ユニークなアルバム・タイトルが多く、ファーストアルバム『シャリ・シャリズム』(SHARI-SHARITHM)は、米米CLUBの活動のために立ち上げた個人事務所の名称(SHARISHARISM)でもあり、「米(シャリ)+リズム+〜イズム」の造語。セカンド・アルバム『E・B・I・S』は、個人事務所(SHARISHARISM)が恵比寿にあることから。他にはもじりを多用し、『KOMEGUNY』はロサンゼルスでレコーディングをしたことから「アメリカ=米国=こめぐに」、『GO FUNK』は「ご飯食う」、『5 1/2』は「5半=ご飯」、『聖米夜』は「精米屋」、『PhiII』は「櫃」、ラスト・アルバムの『PUSHED RICE』は「押米=おしまい」など、ダブルミーニングなどを多用した凝ったものが付けられた。ファンクラブ名も「米米CLUB」をもじり「COME COME CLUB」(カムカムクラブ)という名前だった。米米CLUB フレッシュアイペディアより)

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    米米CLUBから見たコマーシャルソング

    1988年には、シングル「KOME KOME WAR」、アルバム『GO FUNK』が、1989年にはシングル「FUNK FUJIYAMA」、アルバム『5 1/2』が売上ランキング上位に入り、1990年、日本航空(JAL)の沖縄キャンペーンのCMソングに使用された「浪漫飛行」がミリオンセラー。次第にJ-POPバンドとして世間に認知されるようになった。ただ、世間でヒットしたいわゆる売れ線系統の曲だけでなく、マイナーでディープなソーリー曲と呼ばれる楽曲も存在していた。ソーリー曲とは「ふざけた曲を歌っても、すぐに"Sorry"と謝り許してもらおう」「謝ってしまえば何でもあり」というような志向で作られた楽曲群であり、元々は「ウンコ曲」「企画物曲」と呼ばれていた。米米CLUB フレッシュアイペディアより)

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    米米CLUBから見た第34回日本レコード大賞

    1992年、フジテレビ月9ドラマ『素顔のままで』の主題歌に「君がいるだけで」が起用され、同曲は累計売上289.5万枚を記録し、同年の第34回日本レコード大賞を受賞するなどの大ヒットを飛ばすと、米米CLUBの知名度は一気に上昇し、ファン層は拡大、それ以降の曲は、広いファン層や売上げを意識したものが多くなっていった。彼らの特徴であったコミカルな要素が減り、フロントマンの1人であった小野田の活動は縮小、石井1人がメインボーカルを担当することが多くなった。そうした状況の変化は、これまではバンド活動を中心に行われて来た石井のアーティスト活動が、映画制作や個展といった公の場に移っていった。米米CLUB フレッシュアイペディアより)

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