
千代ヶ様城から見た能登国
応安元年(1368年)8月、越中国守護に任じられた斯波義将が桃井直常討伐を開始。これに敗れた桃井直常はそのまま北朝方の吉見氏が治める能登国へと侵攻するも激しい抵抗に遭い撤退。直常の子桃井直和は再び転じて加賀国守護富樫昌家が拠る加賀国富樫城を攻めた。能登国守護吉見氏頼の救援により敗走した直和は越中国一乗寺城に籠るも追撃を退けられず、千代ヶ様城へと退いた。吉見氏は追撃の手を緩めず越中に兵を進め、応安2年(1369年)9月24日、千代ヶ様城は越中国井口城と共に落城し、直和は越中国松倉城へと落ち延びた。(千代ヶ様城 フレッシュアイペディアより)