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    貴乃花光司から見た二子山親方

    この1998年の秋場所直前に、師匠である父・二子山親方(元・貴ノ花)が、兄・花田勝(のち花田虎上)(元・若乃花)を拒絶するようになった貴乃花に対して、「貴乃花は懇意にしている整体師から洗脳されている」と発言し「貴乃花洗脳騒動」が起きた。貴乃花光司 フレッシュアイペディアより)

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    貴乃花光司から見たとったり

    西前頭筆頭まで番付を上げた1991年5月場所、かつて父とも対戦した千代の富士といきなり初日に取組が組まれた。伯父の二子山理事長は「何回、"残った、残った"の声が聞かれるか楽しみだ」と、甥の貴花田が負けるにしても、横綱にどれだけ相撲を取らせてもらえるか注目していた。5回の仕切りで制限時間となるが、呼吸が合わず仕切り直しで立つや、千代の富士が左から張るところを、貴花田は低く当たって右を差し、頭を付けて左からおっつけて寄り、千代の富士が右から撒き、左からおっつけると、貴花田がすかさず左上手を引いた。千代の富士はその体勢を崩そうと、左へ回って土俵際で左からの突き落としをはかり、貴花田の首筋を強引に押さえ込んだものの、貴乃花は良く足を送って残した。最後に貴花田が寄り切りで完勝し、18歳9か月で大相撲史上最年少の金星を獲得。千代の富士は同場所の3日目、奇しくも貴闘力にとったりで敗れた相撲を最後に現役引退。結果的に同場所初日の貴花田が千代の富士を下したのを機に引導を渡したことで、次代の第一人者候補としての評価を固めていく。弟にわずかに遅れて入幕した兄若花田とともに「若貴フィーバー」と呼ばれ、平成初期の一大相撲ブームの担い手となり、一日20番の申し合いをこなす、下ろしたばかりのまわしがその当日の稽古が終わるころには汗が染み込むなどの猛稽古ぶり、勝負に負けて土俵に落ちる際には顔から落ちるなどの勝負師ぶりを見せ、その後も順調に成長していった。稽古熱心さに関しては井筒部屋の元幕下・神光で実業家の村上光昭が「土俵に足を入れたら五時間、体を休めていることは一度もなかった」と2017年の座談会で明かしている。若貴ブームの頃には若貴兄弟が女性誌の表紙を飾り、女性週刊誌や写真週刊誌には毎号のように記事が掲載され、スポーツ新聞も相撲専門の新聞のようになり、コンビニに相撲専門誌が置かれているほどであった。世話人の友鵬は当時について「出待ちの女性ファンが若貴に群がり場所入りする力士がもみくちゃになることもあったため、柵を作ってファンの接近を制限することもあった。今(2017年時点)のファンは整然として行儀が良い」という内容の証言をしている。貴乃花光司 フレッシュアイペディアより)

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    貴乃花光司から見た本場所

    2012年1月場所後の1月30日に行われた理事選にも立候補し、再選。大阪場所担当部長に就任した。貴乃花光司 フレッシュアイペディアより)

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    貴乃花光司から見た肝機能障害

    それまではかなり熱心で体の毛も生えない程だった稽古も、準備運動は入念にするものの実戦的な稽古量が激減するという事態に陥った。1997年(平成9年)は過去の稽古の貯金もあって3度優勝、通算5回目の年間最多勝(同1997年が自身最後の年間最多勝)も受賞して横綱の面目を十分に保てたが、1998年(平成10年)以降はその貯金も底を突いた状態となった。1998年(平成10年)1月場所終盤、急性上気道炎による高熱と、顔面に現れた原因不明の発疹による体調不良で、勝ち越しながらも途中休場(これにより同年2月に開催された長野オリンピック開会式及び横綱土俵入りも欠席した。横綱土俵入りの代役は曙が務めた)。翌3月場所も序盤から崩れて、肝機能障害によりまたも途中休場に追い込まれた。7月場所と9月場所は連覇して(7月場所の優勝インタビューでは、引退も考えていたとコメントした)優勝回数を20回の大台に乗せたが、その後は怪我や病気に苦しみ、2年以上優勝から遠ざかることになった。貴乃花光司 フレッシュアイペディアより)

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    貴乃花光司から見たイラストレーター

    イラストレーター・そやなおきとの共著による絵本、付属CDには貴乃花とその家族が総出演している貴乃花光司 フレッシュアイペディアより)

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    貴乃花光司から見た脱臼

    1999年(平成11年)は年明けから大崩れ。1月場所は序盤から崩れて盛り返すことなく8勝7敗に終わった。3月場所は10日目の闘牙戦で勝ち越しを決めたものの、左肩を骨折して途中休場。5月場所は全休。休場明けの7月場所は8日目まで1敗だったものの、9日目の出島戦で左手薬指を脱臼し、その影響で12日目から4連敗と大きく崩れ、9勝6敗に終わった。9月場所は怪我が治らないのに何故か出場して一つも勝てずに3日目から休場。再起を賭けた11月場所も初日に玉春日に敗れ(この敗戦で不戦敗を含まず7連敗となり平成以降の横綱では最多記録となってしまった)、最後を思わせるほどになってしまった。さらに6日目に栃東、9日目に魁皇にそれぞれ敗れ9日目で早くも3敗。しかしその後は持ち直して14日目まで3敗を守り、千秋楽に武蔵丸と横綱同士の相星決戦にまで持ち込み、敗れはしたものの、11勝4敗の準優勝を果たして望みを繋いだ。。貴乃花光司 フレッシュアイペディアより)

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    貴乃花光司から見た大銀杏

    入門当時からその優れた素質が話題となり、前評判に違わず数々の最年少記録を打ち立てた。新弟子検査時には「これは新弟子の体じゃない、今すぐ幕下でも通用する」と、新弟子検査担当の親方たちから驚嘆されるほど既に体作りの基礎ができていた。中には親方の息子である自身をやっかむ者がいたが、それに対して貴花田はトイレにダンベルを持ち込んで黙々と鍛えた。母の証言によると、部屋の番付上位の力士が下位の力士に指示を出して昼寝を妨害していたといい、藤田は「それに打ち勝つことが稽古より大変なんです」と話していた。1989年11月場所、17歳2か月で新十両に昇進した当時も、出世に髪の伸びる早さが追いつかず大銀杏が結えず、ちょんまげ姿で土俵に上がった。名大関貴ノ花の息子として兄とともに入門したことは、マスメディアを通じて国民に広く報じられ、入幕前から相撲ファンの枠を超えた注目を集めていた。貴乃花光司 フレッシュアイペディアより)

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    貴乃花光司から見たABO式血液型

    血液型はO型。元々は右利きだったが、長年の相撲の影響で右手に痺れが残ってしまい、今は左手で箸やペンを持つようになっている。貴乃花光司 フレッシュアイペディアより)

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    貴乃花光司から見た長男

    父は貴ノ花利彰、母は藤田紀子。兄は花田虎上。妻は河野景子で、1男2女の父親。長男は花田優一。初代若乃花は伯父(父の兄)。二代目若乃花はかつて義理のいとこ(伯父の娘婿)だった。貴乃花光司 フレッシュアイペディアより)

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    貴乃花光司から見た二丁投げ

    そして、貴乃花自身最後の場所となった2003年(平成15年)1月場所、右膝の状態が万全ではなかったものの出場を決意。初日の若の里には土俵際の小手投げで辛うじて勝ったが、翌2日目の雅山戦では二丁投げを喰らって左肩を負傷してしまう。明らかに不利な体勢であったが、審判委員から物言いがつき「両者同体」と判定された。その取り直しの一番は雅山に左からの上手投げで勝利したものの、左肩の怪我により翌3日目の旭天鵬戦は不戦敗、4日目まで途中休場する羽目となる。貴乃花光司 フレッシュアイペディアより)

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