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  • 養父直人

    養父直人から見た全国高等学校柔道選手権大会全国高等学校柔道選手権大会

    中学3年次に近畿大会(78kg級)で優勝し頭角を現すと、天理高校に入学してからは1988年の全国高校選手権で初代の個人戦無差別チャンピオンに輝いたほか、インターハイの重量級でもベスト8という成績を残した。1989年春に天理大学入学後は、東京五輪銅メダリストの金義泰の指導のもと得意技の払腰に一層磨きをかけ、団体戦・個人戦で活躍した。大学2年次には三船杯で、ソウル五輪銀メダリストのヘンリー・ストール(東ドイツ)を払腰で投げ飛ばしている。大学4年次の1992年にはドイツ国際や全日本体重別選手権でも優勝を果たし、ポスト小川直也の有力候補の1人として期待されるようになる。その反面、学生選手権や学生体重別では上位に顔を出すものの優勝までには至らず。特に大学4年の全日本学生選手権では、決勝で86kg級の中村佳央にいいところなく敗れて2位に終わる。新日鉄広畑に入社後は全日本選手権で3年連続3位になったり、ドイツ国際で自身2度目の優勝を飾ったりするが、小川直也や篠原信一ら強豪がしのぎを削る当時の重量級において、オリンピックや世界選手権代表の座を射止めるまでには至らなかった。全日本選手権への出場は最終的に、当時最多となる12回を数えた。養父直人 フレッシュアイペディアより)

  • 岩尾敬太

    岩尾敬太から見た全国高等学校柔道選手権大会全国高等学校柔道選手権大会

    修徳中学から修徳高校へ進むと、1年の全国高校選手権団体戦では3位となった。2年のインターハイ団体戦では2位、全国高校選手権では3位だった。3年の時には金鷲旗で3位になると、インターハイの個人戦100kg級で決勝まで進むが、東海大相模高校の高木海帆に有効で敗れた。岩尾敬太 フレッシュアイペディアより)

  • 七條芳美

    七條芳美から見た全国高等学校柔道選手権大会全国高等学校柔道選手権大会

    柔道は8歳の時に井上康生も所属していたことで知られる静充館で始めた。檍中学2年の時に全国中学校柔道大会の56kg超級で3位、3年の時には優勝を飾った。高校は福岡県にある福岡工大附属高校へ進むと、2年の時に全国高校選手権70kg級で2位となった。3年の時には金鷲旗の決勝で淑徳高校と対戦すると、大将戦で中沢さえを横四方固で破ってチームを優勝に導いた。インターハイ団体戦では市立柏高校に敗れて2位だった。全日本ジュニアで優勝を飾ると、世界ジュニアでは3位に入った。2001年に東海大学へ進学すると、1年の時には優勝大会で3位、全日本ジュニアでは2位だった。2年の時には優勝大会で2位となった。3年の時には優勝大会でこの年に東海大学へ入学してきた妹の晶などとともに活躍して優勝を果たした。さらに、学生体重別と講道館杯でも優勝を飾った。4年の時には優勝大会と学生体重別を連覇して2年連続学生2冠を達成した。講道館杯では淑徳大学の岡明日香に敗れて2位にとどまった。世界学生では優勝を飾った。2005年には了徳寺学園の職員になると、選抜体重別の決勝でアテネオリンピック金メダリストである三井住友海上の上野雅恵に敗れるも2位となった。2006年には実業個人選手権で優勝した。2008年からは比叡山中学の教員となった。なお、世界学生の60kg級で2連覇を達成した同じ職場の米富和郎と結婚した。七條芳美 フレッシュアイペディアより)

  • 宮本樹理

    宮本樹理から見た全国高等学校柔道選手権大会全国高等学校柔道選手権大会

    高校では柔道に対する情熱がわかず、それなりの練習しかしていないこともあって、1年の時に全国高校選手権63kg級でベスト16に入った程度だった。この当時は高校を卒業したら柔道を辞めて、指導者に「東京にいって身をたてるべきだ」と言わしめたほど得意としているダンスの学校に進むことを考えていた。にもかかわらず、女子柔道界の名門として知られる帝京大学柔道部監督の稲田明に誘われたことを嬉しく思い、結局柔道を続ける道を選んだ。宮本樹理 フレッシュアイペディアより)

  • 根崎裕子

    根崎裕子から見た全国高等学校柔道選手権大会全国高等学校柔道選手権大会

    柔道は玉造中学に入学してから始めた。この時、指導者の小森哲から最初に習ったのが帯取り返しだった。3年の時には全国中学校柔道大会の56kg級で3位になった。一方で、柔道以外に陸上競技にも取り組んで、全国中学校駅伝大会にも出場した。千葉県の市立柏高校に進むと、菊川慶一の指導の下で寝技をさらに研鑽していった。2年の時には金鷲旗で大活躍してチームの2位に貢献した。インターハイの団体戦でチームは初優勝を飾ったが、この大会では控えだったので出場の機会はなかった。全日本ジュニアでは57kg級で優勝した。世界ジュニアでも準決勝まで全て一本勝ちすると、決勝でもブラジルのダニエリ・ザングランドを小外刈の有効で破って優勝を飾った。しかし、全国高校選手権では2回戦において判定で敗れた。3年の時にはインターハイで6試合全てを得意の寝技で一本勝ちして、チームの2連覇に大きく貢献した。全日本ジュニアでも2連覇を果たした。国体少年女子の部では決勝で塚田真希率いる茨城県チームに敗れて2位だった。2000年には筑波大学に進学した。なお、同級生には後にオリンピックの63kg級で2連覇を達成する谷本歩実がいた。1年の時には全日本ジュニアで2位に終わり3連覇はならなかった。正力杯では3位だった。アジアジュニアでも2位にとどまった。その後は立ち技でこれといった決め技がなかったことや、根?返しが研究されたことなどもあって思うような成績を残せなかったが、階級を63kg級に上げると、4年の時には学生体重別で3位となった。大学を卒業後は玉造中学で非常勤講師となった。2004年にはツクバ計画の所属で実業個人選手権に出場して3位となった。2005年には70kg級で3位に入った。2006年には国体成年女子の部に茨城県代表で出場すると、決勝の兵庫県チームとの対戦では大学の2年先輩で63kg級の元世界チャンピオンである手島桂子に根?返しからの横四方固で一本勝ちしてチームの優勝に貢献した。2008年には神栖市立波崎第一中学の教員となった。また、この年の全日本選手権に出場したのを最後に現役を引退した。なお、記録よりも記憶に残る柔道家と言われている。根崎裕子 フレッシュアイペディアより)

  • 中橋治美

    中橋治美から見た全国高等学校柔道選手権大会全国高等学校柔道選手権大会

    実家は中橋産業を経営している。柔道は兄の影響で10歳の時に坂出柔道協会で始めた。坂出中学から高松商高に進むと、1年の時に全国高校選手権61kg級で2位となった。3年の時には全日本女子柔道強化選手選考会で3位に入った。福岡大学へ進むと、2年の正力杯では決勝で埼玉大学4年の北爪弘子に敗れて2位だった。3年の時には拓殖大学4年の宮家江美を破って優勝を飾った。世界学生では決勝で韓国の鄭成淑に技ありで敗れて2位だった。団体戦でも鄭に敗れて3位だった。なお、学生時代は柔道選手とは思えないファッションセンスを発揮した着こなしで、学校では一番目立つ存在だったという。1996年に大学を卒業してダイコロ所属となると、選抜体重別ではあさひ銀行の北爪を技ありで破って優勝した。しかしながら、国際大会での実績が乏しいことなどを理由にアトランタオリンピック代表には選出されなかった(この階級は今大会3位だった住友海上の恵本裕子が代表に選ばれたが、その恵本に対して「選考の結果を気にしないでください」と手紙を書いて気遣った。恵本はアトランタで女子初の金メダリストとなった)。続くアジア選手権ではまたも鄭に敗れて2位にとどまった。その後階級を57kg級に下げると、1997年の福岡国際では決勝でキューバのドリュリス・ゴンサレスに効果で敗れるも2位となった。一方で、現役時代の一時期、野球の福岡ダイエーホークスのチアリーダーを務めていたこともあった。引退後の2002年には選抜体重別48kg級の初戦でトヨタ自動車の谷亮子が土浦日大高校2年の福見友子に効果で敗れて連勝記録が65で途切れたのを見て、谷のトレーニングパートナーを買って出た。彼女のためなら何でもしてあげたかった、さらなる高みに到達してほしかったからだという(谷が2004年のアテネオリンピックで2連覇を達成するまでパートナーを務めて、その精神的支柱ともなった)。また、福岡ソフトバンクホークスの甲藤啓介が自主トレーニングを行った際にはその指導も受け持った。なお、2003年から10年ほど福岡大学女子柔道部の監督も務めた。2013年にはロンドンオリンピック57kg級金メダリストの松本薫などが所属するフォーリーフジャパンの監督に就任した。2015年にはフォーリーフジャパンの柔道部が廃部となったことに伴い、ベネシードが新たに設けた柔道部に松本とともに移り、監督に就任した。中橋治美 フレッシュアイペディアより)

  • 山下亜希

    山下亜希から見た全国高等学校柔道選手権大会全国高等学校柔道選手権大会

    千葉県の市立柏高校に進むと、菊川慶一の指導の下で力を付けるものの、2年の時には全国高校選手権78kg級の初戦で反則負けを喫した。3年の時にはインターハイ団体戦の決勝で福岡工大附属高校と対戦すると、両チームの引き分けが続いて迎えた大将戦において、130kgの前野真由己に払巻込で技ありを取られた他に有効も3つ取られるなど圧倒的にリードされるも、終了20秒ほど前に寝技の展開になった際に崩上四方固で大逆転の一本勝ちを収めてチームの3連覇に貢献する活躍を果たした。東海大学へ進むと、3年の時には学生体重別の70kg級では決勝まで進むが、大学の同級生である七條芳美に敗れた。講道館杯でも決勝で七條に敗れて2位だった。4年の時には選抜体重別の準決勝で世界チャンピオンである三井住友海上の上野雅恵を内股で破ると、決勝でも同じ三井住友海上の貝山仁美を合技で破る快進撃を見せて初優勝を飾った。続く学生体重別では前年に続いて決勝で七條に敗れて2位に終わった。2005年には七條と同じく了徳寺学園の職員になった。また、東海大学の大学院にも進んだ。2006年の実業個人選手権で3位になった。2007年には全日本選手権でベスト16に入った。その後引退して、了徳寺大学の事務員となった。さらに了徳寺柔道クラブの指導員に就任した。2014年には結婚して村上姓になった。山下亜希 フレッシュアイペディアより)

  • 立野千代里

    立野千代里から見た全国高等学校柔道選手権大会全国高等学校柔道選手権大会

    中学まではソフトボールをやっていて、本格的に柔道を始めたのは桜宮高校に入ってからだった全国高等学校柔道選手権大会では3位となる。筑波大学に進学後、1991年には体重別で優勝して世界選手権代表に選ばれるも3回戦で敗れる。翌年再び体重別で優勝してオリンピック代表に選ばれて、銅メダルを獲得する。立野千代里 フレッシュアイペディアより)

  • 妹尾ひでみ

    妹尾ひでみから見た全国高等学校柔道選手権大会全国高等学校柔道選手権大会

    阿久根小学校5年の時に兄の影響で三笠少年柔道団で柔道を始めた。阿久根中学時代は九州大会で3位になるが、その当時の体重は実に173kgもあったという。柳川高校に入学すると体重は120?130kgで落ち着くことになったが、2年までは巨体をもてあまして練習も捗らず、また部内の層が厚いこともあって控えだった。3年になってようやくレギュラー選手になり、金鷲旗とインターハイ団体戦では同級生の全国高校選手権72kg級チャンピオンの佐藤和恵や、1年後輩で超高校級の全日本選手権チャンピオンの阿武教子らとともに活躍して優勝に貢献した。その後強化選手選考会で2位となり、福岡国際では無差別に出場して3位に入った。拓殖短期大学入学後、1年の時には全日本選手権の準々決勝で住友海上の福場由里子に判定で敗れて5位だった。無差別で争われる学生選手権決勝では筑波大学2年の吉田早希を払腰で破って優勝した。全日本学生柔道優勝大会では決勝で日体大と対戦するが、二宮美穂に合技で敗れて2位にとどまった。世界学生の無差別では3位になった。なお、上京した当初は女子トイレに入るとよく痴漢と勘違いされて、不快な思いをしたという。2年の時には正力杯で優勝すると、ユニバーシアードでも3位となった。その後拓殖大学に編入すると、3年の時には正力杯で2連覇を果たした。学生選手権では158cm、56kgの小兵ながら決勝まで進んできた東海大学2年の大塚雅子を払腰で破って2年ぶり2度目の優勝を飾り、学生2冠を達成した。続く世界学生の個人戦は初戦で敗れたが、団体戦では3位になった。大学を卒業後はミキハウスやタカメディカルの所属となったが、学生の時ほど活躍はできなかった。現役時代は185cm、120kgと日本の女子重量級選手としては最も大柄な選手として大いに期待されていたものの、シニアの大会となるとその巨体を必ずしも活かしきれなかった。引退後は介護福祉の仕事に就いている。妹尾ひでみ フレッシュアイペディアより)

  • 片渕慎弥

    片渕慎弥から見た全国高等学校柔道選手権大会全国高等学校柔道選手権大会

    柔道は8歳の時に正導館米田道場で始めた。久米田中学3年の時に全国中学校柔道大会78kg超級で2位になった。国士舘高校に進むと1年の時から団体戦のレギュラーで活躍して、インターハイと全国高校選手権で優勝した。2年の時には金鷲旗とインターハイを制して、1992年に世田谷学園高校が成し遂げて以来、8年ぶり2校目の高校団体3冠(全国高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成した。さらには全国高校選手権の個人戦無差別で優勝すると、団体戦でも2連覇を飾った。3年の時には金鷲旗とインターハイの団体戦で2位にとどまった。インターハイの個人戦は初戦で大牟田高校の青山正次郎に敗れた。国士舘大学に入学すると、1年の時に世界ジュニアで3位になった。2年の時にはユニバーシアードの無差別で3位となった。3年の時には学生体重別で優勝した。一方、団体戦では優勝大会で3度優勝に貢献した。2006年には大学を卒業してJRA所属になった。2007年には全日本選手権で準決勝まで進むも、大学の3年先輩である平成管財の鈴木桂治に小内刈で敗れるが3位入賞を果たした。アジア選手権の100kg超級では3位だったが、無差別で優勝した。講道館杯では決勝で総合警備保障の生田秀和に合技で敗れた。続く嘉納杯では3回戦で世界チャンピオンであるフランスのテディ・リネールを技ありで破るなどして3位に入った。片渕慎弥 フレッシュアイペディアより)

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